明けて15日は、ケンチョピアを7時出港。
往きは6人でしたが、帰りは7人です。
眉山を後にして。ケンチョピアから、末廣川を下って外海に出るまで30分。
飲物、食べ物をしっかり積み込んで、まずは沼島から友が島水道へ。
昨日とは打って変わっていい風が吹いています。
しかもアビームで、タック無しでまっすぐ二色を目指せます。
徳島を出て7時間で、やっと関空です。
関空橋を越えたらもう少し。
15日、14時30分無事に母港「二色ヨットハーバー」に帰着。
みんなで艇の後片付けをしてから解散です。
オーナー御夫妻は、もう一晩艇内泊まりをされたけど、クーラーがよく効いているし
我々邪魔者が帰ってしまうから快適に休まれるだろう。
ありがとうございました。
いよいよ阿波踊りレース当日は、6時40分に笹乃庄さんを出発。
7時にLAVENIR艇に行くと、今日から参加の3人が加わって
9人でレース海域へ向かいます。
8時30分にスタートして、大三角を一周するコース。
ジリジリと照りつける、刺すような太陽の光を、セールの陰で避けながら
9人はじっと耐えます。お茶、ジュース、ビールがドンドン無くなってゆきます。
近隣のヨットも、ただただ耐えています。
LAVENIR難民艇の艇速は、1knot
他艇から貰った、LAVENIRの画像
とうとう14時30分のタイムリミットに引っかかりました。
ただただ、猛暑に耐えた5時間でした。
猛暑のレースを終えて、フルスピードで帰港する艇団。
折り返したポイントの先一キロ以内にゴールが有ったのですが?
ところが、うーんと前に居た「超レース艇」軍団もゴール出きなかったので
全艇DNFで、結局ノーレース。
残念な結果となりました。
猛暑に打ち勝ったメンバーは、ゆっくりと汗を流してから笹乃庄さんの豪華料理を楽しみました。
宴席は一人加わって、賑やかに10人です。
女将さん御夫妻と 若女将さんと
毎回毎回、笹乃庄さんの皆さんには大変なお世話を掛けています。
思えば、2003年に桂田さんの「喜怒哀楽」艇で初めて「阿波踊りレース」に参加。
その後2005年、2007年、20012年から連続2019年まで「POCOA POCO」艇で。
2022年と2024年は「LAVENIR」艇で。
僕は今年で12回目の参戦でした。
その間、笹乃庄さんに宿などのお世話になったのが10回。
本当に有りがたい事です。
宴席の後は、やはり阿波踊りに繰り出しました。
昨日は有料観覧席でしたが、今日は僕の好きな「路上パフォーマンス」へ。
観覧席へ出無くても、こうして路上で素晴らしい踊りを見せてくれるグループが沢山有ります。
それがまた大変楽しみです。
あすはまた、二色へ向かっての帰り回航。
11時には、ビールを呑んで寝ました。
今年も阿波踊りヨットレースに行きました。
ハンゼ35の「LAVENIR」艇に7人が押し掛けました。
12日の午後、オーナー御夫妻が準備万端で待機してくれて居る処へ4人が到着。
艇の艤装をしたり、買い物に行ったりレースに不要な荷物を降ろしたりと、作業は一杯有ります。
でも、オーナー夫妻は、二人だけでだいぶん準備して貰って居たようです。
この猛暑で、みんな大汗ですから。
真下にヨットを見ながらのお風呂は最高です。
翌日は6時出港なのに、夕食のヨット談義はいつまでも続きます。
翌13日は6時出港で、友が島水道経由、沼島通過で徳島へ。
アビームの風を受けて快調なペースです。
11時までは南流れの2knotなので、それまでに友水を通過しなくては。
昼食は「ジャンボ」の焼きそばとお好み焼き。
13時30分到着 笹乃庄の女将さんよろしくお願いします。
笹丸のバースに繋がせて貰って、笹乃庄さんで休憩。
今年もここで二晩泊めて貰います。
休憩してから、明日のレースに備えての艇長会議へ。
艇長会議の後は、いつもの大パーティー。
各地から知り合いが沢山集まっているので、そこここで「おーっ久しぶりー」
宴の半ばで、いつもの「奴連」の皆さんの阿波踊り。
さすがに有名連の「奴連」の皆さん、凄い練習の成果が見られます。
ラストは、我々ヨット乗りが「奴連」に混じって阿波踊り。
これでウエルカムパーティーはお開き。
我々は確保していたチケットを持って「阿波踊り新町会場」へ。
2時間半の間、有名連が続々と登場。
流石の阿波踊りです。
明日のレースは8時30分スタートなので、早めに笹乃庄さんに帰って寝なくては。
友人のお誘いで初めての体験「オーボエ」のコンサートに行って来ました。
交響楽団の中のオーボエは聴いた事が有るももの、オーボエだけなんて?
ピアノとオーボエのナイスコンビでした。演奏もトークも。
会場の「存古楼」は、築100年の貴重な部屋なので、エアコンは無し。
奏者二人は大汗をかきながらの奮闘でした。
我々は、庭から入る涼風が丁度良い具合でした。
静かに落ち着いた2時間を過ごした後は、家内の誕生日ということも有って
河原町へ出て洒落たレストランで食事・・・では無く、珉珉でおなかいっぱい
吞んで食べて祝いました。
これで、とうとう二人とも79歳。
何歳までこうして元気に出掛けられるのかあ。
広大な敷地に、住居、庭園、飾り門、茶室、仏堂等を配して
丁度真ん中に大きな画室「存古楼」が。
画室には、池から反射光が入るよう設計され、高窓からは大文字山が見える。
これらが、100年前の建築とはとても思えないくらい手入れが出来て居ます。
仏堂や灯籠など、庭を散策しているととても心が落ち着きます。
今日の会場で弾かれたピアノは、大正時代にボーランドから取りよせられたらしい。
これは珍しい半円です。グランドピアノ特有の、くびれた曲線が有りません。
「ザイラー社製」の大変貴重なもので、たぶん調律がとても難しいのでは?
敷地内には、素晴らしい近代建築の展示館が。
関雪の作品や、彼に縁の作者の作品が沢山展示されて居ます。
フラッシュ無しで、商業用で無ければ撮影okでした。
エピソード
松竹梅のCMで、宇野重吉と石原裕次郎が、この石の上で語り合った。
いつものMATSUSYOUのオーナーが、オートパイロットが欲しいなあと
前から話して居て、やっと中古が一つ手に入ったので、いつもの器用な友人Nさんに
依頼して取り付けて貰いました。
二月前に入手したのは、故障していたが今回のは快調に動く事も彼が確認してくれました。
取り付けも電源配線も、彼の言うとおり手伝っていたら、あれよあれよと思う間に
ドンドン進んでゆきます。
刺すような太陽では有るが、取り付けたオーパイを使いたい一心で、湖上へ。
これで、オーナーが一人でのクルージングも、ビワマス釣りも出港しやすくなります。
琵琶湖大橋付近で、フェールクウクウさんと出合いました。
8月18日の「BSCA賞金レース」は、mugenに9人が乗り込んでの参戦でした。
各マリーナから、続々と集まってきました。
MORE&MOREⅡ mugen windキッス
Tracer HAWK WIND 追いかける
mugenは、早くからジェネーカーを展開したので、有利かと思われたが
みんななかなか上手い。
HAWK WIND、Tracer、windキッスと、2番手、3番手をシーソーゲーム
しながらゴール直前で、3艇に前を切られて、mugenは4着。
なんと、13着でビリのSuperHEROさんが見事に優勝。
おめでとうございます。
5万円相当の賞金です。
ここ数十年は、毎年の8月16日に「萬木ファミリーお盆の法要」を勤めます。
お寺さんを迎えて、みんなで読経。
その間に、一人ひとり、お焼香をします。
お参りが終わったら、バーベキューで昼食です。
ビールも沢山冷やして有ります。
孫達もみんな大人になったので、仕事の都合でこれない者もいて、以前よりも少ないなあ。
父母が御朱印を集めて廻った「33カ所札所の掛け軸」も飾ります。
次の大集合は、1月2日です。
みんなあつまってやーー。
お盆に入ってすぐの日、両親の故郷「安曇川」へ行き「玉泉寺」へお参り。
それから、母の実家、父の実家の仏前にお参り。
山科の萬木家のお墓にもお参り。
毎年のお盆は、数珠とお線香を持参で、なかなか忙しいです。
友人の「堀金箔」さん主催の「金継ぎ体験会」に参加してきました。
堀さんには、箔の日の8月9日に毎年、様々な体験をさせて貰って居ます。
「金継ぎ」なる言葉は全く知らなかったのですが、日本には、なかなか趣の有る
技術が有るものです。
何人かの友人を誘ったら「金継ぎか、面白いから行くわ」という人が二人。
みんなよく知って居ます。
これが今日の材料。そばつゆカップと、薬味入れ。ちゃんと、一部が欠けさせて有ります。
欠けた部分をテープで養生してジェルを塗りつけて盛りあげます。
きれいに平しておきます。
ジェルに紫外線を照射すると固まってくれます。
固まったら、やすり、ペーパーで削って仕上げ。
ベンガラを塗って、からこの金粉を振り掛けます。
筆でさーっとなぜたら出来上がり。
修理そのものが、飾りになる遊び心の「金継ぎ」です。
8月1日は、雄琴温泉花火大会。
ヨットを出して、沖から見物との考えたが、藻が出始めて居るので
夜間に藻に突っ込んだら、脱出不可能になるので、マリーナ雄琴の桟橋から楽しむ事に。
8時から30分間の花火なので、涼しい桟橋が丁度良かった。