父の三十三回忌と、母の二十五回忌の法要を務めました。
久しぶりに皆が顔を合わせる良い機会です。
みんな歳を取ったなあという印象。
お寺さんも、先代が70歳で亡くなって若い人に替わっています。。
これまでは、両親の故郷の安曇川からも沢山に来て貰って居ましたが
今回は僕の姉弟と子供達だけの少人数にしました。
皆で一緒に読経。
つい最近に結婚した孫夫婦は、ひと足早く来てお参りしてくれました。
お参りの後は皆で「梅の花」に行って昼食。
いろいろな料理が、少なめに種類多く出たので満足。
それでも、いつの間にか沢山食べて満腹になりました。
こんなに可愛い、動く人形が有りました。
歓談もまた楽し。
お参りを有り難う。またみんな、元気で過ごして次回元気で逢えますように。
次は8年後に、母の三十三回忌ですが果たして・・・。
3月11日に、7人の孫の一番上が結婚しました。
宝が池近くの、今流行のタイプの式場です。
控え室で待つ、新郎の従兄弟。 新郎の母親。
いよいよ開式です。人前挙式なので、神官も神父も無し。
みんなの前で、近いの言葉を二人で。
お父さん、おめでとうございます。
孫の結婚なんて初めて。そんな日が来るとは有りがたい事です。
御馳走が次々に
この歳では、なかなか量が入らないので、上品なのが嬉しい。
アルコールも、必ず欲しいけど、量が要らなくなってきました。
会場の皆から、お祝いのカラー指紋を貰うらしい。名前のところに押しました。
お母さんへの手紙 両親はウルウル 6人揃いました。
我々は「お見送りケーキ」を貰って帰途に就きます。
続いて「若者だけの披露宴」には、新郎の妹ふたりが受付をしています。
このあとまた、大勢の人達に祝福されていました。
52歳でお祖父さんにしてくれた孫が、元気に楽しい毎日を過ごしてくれますように。
僕達夫婦は五十三年前の2月19日に、八坂神社で結婚式を挙げました。
結婚二年前(55年前) 2月19日グァム島
向日市で10年間暮らしてから、実家の中京区へ戻って43年、三人の子供が所帯を持って
7人の孫ができて、来月にはそのうちの一人が結婚式。
みんな元気で有りがたい事です。
記念日は何処かで食事をするだろうからと、3日前に「鯛シャブセット」が
子供達三人からのお祝いとして贈られてきました。
これは17日に二人で平らげて前祝い。
記念日当日は日曜日で、夕方から二人で映画「すずめの戸締まり」を観てから夕食に。
コロナで暫く遠ざかっていた「いきなりステーキ」へ。
シニアサービスの「生ビール十円」「ワイン十円」で「また一年よろしく」と乾杯です。
それから、僕はリブステーキ200グラム、家内はサーロインを200グラムをレアで。
サーロインは、80グラムくらい廻ってきました。
以前はこれに加えて御飯も頼んだのですが、そろそろ限界、お肉とサラダだけにしました。
孫達の就職、結婚、出産などを楽しみに、55年の「エメラルド婚」60年の「ダイアモンド婚」
を迎えるためにば、一に健康、二に健康と精進しなくては。
我が家の大晦日は、山科のお墓参り。
マツヤスーパーで、お花、お菓子、お酒(父に)、コーヒー(母に)を買って供えます。
それから、お墓からすぐのところの、マイ畑へ。
低温で遅れ気味だった3回目の小松菜は、やっと芽が出てきました。
大根は順調に大きくなっています。
ネギは、4株ほどを抜いて持ち帰り、プランターに植えました。
これで、切っては食べ、切っては食べができます。
ブロッコリーもドンドン大きくなりつつあります。
それから、もう54年も続いている車折神社へ。
一年間の無事のお礼と、来年の安康を祈願します。
そして夕方には「喫茶スマート」で年越しコーヒーを吞んで、一年を終えます。
60数年来の友人のマスターに「また今年も年末コーヒーを吞みに来られた」と喜び合います。
僕には七人の孫がいますが、そのうちの一番下の女の子がこの春に、岡山大学に入り、
初めて一人暮らしをしています。
何処へでも行きたがりの僕は、まだそこへ行けて無かったので、30日に出かけて来ました。
往きは娘の車に乗せて貰い、帰りは新幹線を予定してました。
広大な土地は、学生の街として若者で溢れています。
孫の学校と、住まいを見せて貰って大満足の爺さん婆さんは喜びと安心。
幼い頃は、七人がいつも僕の廻りに居てくれたのに、今は七人ともなかなか会う機会が無いくらい。
25歳(既婚)、24歳、23歳、22歳、22歳、20歳、18歳ともなれば、当然かな。
余り寄りつかないのは、自立してきて居るのだから、喜ぶべきなんですが?
久しぶりの孫と一緒に昼食してから、後楽園に行くことにしました。
僕は日本の三大公園のうち、兼六園には行ってますから、これで二つ目を実現。
水戸の偕楽園は、もう無理かな?
元禄13年(1700)に完成したとの後楽園は、岡山城の隣に位置し、藩主の憩いの場として使われたとか。
木々の向こうに、堂々としたお城が威圧するように 見えて居ます。
孫と一緒に後楽園を散策。
慈眼堂の傍の大岩は、余りに大きいので三十六分割して運んで来たとか。
お茶室 大蘇鉄の林 餅米の「井田」
他では観られない、広大な芝生が特徴。有るときはここが大田園になったことも有るそうです。
洒落たお茶室の窓 茶室からの眺め
後楽園を抜けると、お堀の向こうに突然岡山城が出現。
鯱もキンキラです お堀には、ボートが数隻
白鷺城の向こうを張って、ここは「烏城」で、黒が基調です。
お城の中では、何か意味不明のイベントが行われて居て、忙しそうな動画が流されていました。
後で判ったことですが、つい二週間前までは下の画像のような状態だったのです。
二年間の大修理を終えて、足場が外されたばかりのところへ行ったのでした。
どうりで、お城が輝いていました。