今日は、この高速船で座間味から那覇に帰ります。
結構な高波にも関わらず、艇速が出るので、凄いしぶきです。シートベルトをしっかり。
那覇の泊港では、友人がレンタカーでお出迎えで、すぐさま沖縄名物「タコライス」へ。
蛸は一切れも無くて、御飯にタコスらしき物が載せられています。美味しかったです。
昼食後、基地巡りをしようかと決定。まずは「キャンプシュワブ」へ。
問題の最中ですから、物々しい警戒です。
基地移転問題、どうなるのかなあ。沖縄は気の毒だけど、だからどうすれば?
出口が予測出来ません。
ネットで「道の駅かでな」の屋上が、ベストポイントと知り、そこから基地の全景を。
ここには、戦闘機らしき機器は見えず、補給などの後部部隊のようです。
ここは、余り近くからは見られず「嘉数高台」からなので、望遠を駆使します。
やはり基地は街の真ん中に有ります。キャンブシュワブの「辺野古」へ移転かなあ。
その隣が「宜野湾ヨットハーバー」です。
那覇港には、超ビッグなクルーズ船が。こんなのが、次々と寄港しているそうです。
豪華な造りでしたが、意外と安くて安心しました。
今回の旅のラストナイトは、街の居酒屋で。
レース明けは、疲れも取れて快適。一足先に帰る仲間を見送ってから、島内観光です。
レンタカーは、4時間で6000円。
ビーチ遊びや、ダイビングの人が殆どで、それ以上借りても、行く処が無いらしいです。
泳げるのは、古座間味ビーチと阿真ビーチ、安護の浦の三カ所。
いずれも、南国特有の透き通った水でした。太陽が出れば、プラスコバルトブルーなのに。
座間味の花。
えっ、こんな木の上で暮らすのかなあ。
港には、来週のサバニレースに向けて、続々と艇が運ばれてきます。
雨模様でも有るので、余り期待して居なかったけど、なかなか見応えの有る島でした。
奇岩が多くて、ついつい目を奪われました。
座間味役場は新しい。仏教は無いらしいけど、神社は?
神の浜展望台、女瀬の崎展望台、稲崎展望台、チシ展望台、高月山展望台を全て廻りました。
高速船が一日二便、座間味港と那覇の泊港とを結びます。
座間味は、いよいよ今夜でお別れです。
スタートは、8.30と8.50と9.10と9.30。
艇の速度が遅いグループから先にスタートします。我々は、9.30のスタートです。
ゼッケン10を付けた、トレーシースポーツは、9時30分のスタートです。
こうすることで、ゴールの座間味到着時間が同時に近くなるのです。
スタート直前のトレーシースポーツ。
豪雨と強風の中、オーナーは、カッパも着ずに短パンに半袖。
スタート時は穏やかだった海は、10時半頃から真っ黒な雲が現れてカッパを着る間も無くどしゃ降りと強風。
古座間味ビーチの黄色いマークを、反時計で廻ります。
実は、この頃は15時30分のレースのタイムリミットを過ぎていました。
悔しいから、とにかく予定通り回航しました。
気になってたヨットは、こんなセールを揚げていました。
座間味港では、鯨がお出迎えです。
レースには、50フィート、60フィートのカタマランも参加していました。
何と大きい事。
18時からは、座間味村の公民館で表彰パーティー。
トレーシースポーツチームは、昼間のユニフォームを着替えて参加です。
こんなに悲惨な結果なら、本部艇の方で短縮とかして、ゴール艇を増やさなくては。
何はともあれ、荒れた東シナ海を突っ切ったわれわれは「みすまるの家」でぐっすり寝られました。
「みすまる」は「御統」と書く、古代の装身具のこと。御主人のこだわりです。
よく話す奧さんと、思い切り寡黙な御主人(寅さんの大フアン)
ありがとうございました。
初めて座間味ヨットレースに参加出来ました。
我々が乗せて貰うヨットは、6月6日にオーナーさん一人が母港のハウステンボスを出港して、12日間を掛けて沖縄の
宜野湾ヨットハーバーまで回航されました。
艇名は「トレーシースポーツ」 J-12(40フィート)です。よくまあ、これを一人で・・・・。
大荒れしたり、のんびりクルージングだったりして6月18日には宜野湾に無事到着。
そんなところへ我々が、さっさと乗り込みます。オーナーさん曰く「ええとこ取り」やんか・・・。
はい、その通りです。ありがとうございます。
往きのJALの離陸時と着陸時は、ずっとこんな光景でした。ラッキー。
2泊する「ムーンオーシャンレジデンスホテル」からは、宜野湾ヨットハーバーが見下ろせます。
座間味ヨットレースを戦う戦士が前祝い。あと二人は明日から参加です。
翌日は、セールや備品の点検。セールが一部ホツレていたので、手縫いで修理。
昼過ぎから全員で出港して、セーリング練習。雨の予報が外れて、快適なセーリングになりました。
練習から帰港して、最後の点検。
宜野湾ヨットハーバーには、日本各地から様々なヨットが64艇集まりました。
中でも特に目を引いたのはこのヨット。
全く同じサイズのマストが2本立っているので、どんな走りをするのか?レースで逢うのが楽しみです。
17時からは艇長会議。いろいろな注意事項が発表されます。
クラブハウスには、各艇のレーティング(ハンデ)が発表されていました。
レース全体のコース。 座間味に近づいてからのコース。
さあ、明日はいよいよ宜野湾から座間味に向かってスタートです。
昼食をと思い、碓氷峠から降りてくると緑に染まった林の中に「旧三笠ホテル」が。
重要文化財のこの建物は、1905年に建てられて65年間、財閥の保養に使われたそうです。
部屋の造りを見て気が付きました。
我々が、一部屋ずつで泊まるのとは違い、どうやらフロア貸し切りとか、全館貸し切りの使用になっていました。
落ち着いた上品な造りは、やはり上流階級向きです。
多くの観光客が、次々に訪れて居ました。
三笠ホテルの真ん前に有る、洒落たレストランで、カレーやタンシチューを堪能しました。
緑のトンネルをドライブすること30分で「白糸の滝」へ。
ホントに、白い糸が垂れているようです。大勢の外人も一緒でした。
浅間山の頂上も煙も、とうとう二日間とも見られませんでした。
G20の閣僚会議が開催されて居た軽井沢駅は、大勢の警官や警備員でいっぱい。
せめてものお礼に、敷地の草刈りをさせて貰いました。
小諸で快適な二日間を過ごした我々は、お世話になった民家のオーナー父子に丁重なお礼を述べて帰途につきました。
静かすぎる古民家の夜は、快適な眠りが楽しめました。
昨日に続いて、今朝も豪華な朝食。
さあ今日は「G20の閣僚会議」真っ最中の、軽井沢へ。
在りし日の機関車が展示されています。
軽井沢駅には、歴史を感じさせる様々な物が遺されています。
いつの間にか、最近出来たばかりの「軽井沢駅遊園地」の、子供電車に乗っています。
別のホームには「ろくもん」が、予約の乗客待ちでした。
軽井沢から長野までの2時間10分で豪華ランチ付き、14800円。
今は無き草軽電気鉄道の機関車が有りました。
レンタカーで、軽井沢ドライブの始まりは、やはり軽井沢銀座。
何処までも続く青々とした「灌木林」その中に、突然ホテルが。
「万平ホテル」は、この林の中には最もふさわしい佇まいです。
皆で、ケーキとお茶を楽しみました。
また、新緑溢れる中を登り続けると熊野神社へ。
ここが、旧碓氷峠の頂上で、今も昔も沢山の人が訪れます。
神木の「シナノキ」 珍しい狛犬
峠の茶屋も神社も県境を跨いでいます。
さあ、そろそろお腹が減ってきました。
キュウリ、トマト、茄子、ジャガイモの順に撮影。
明日からしばらく、京都を離れるので、水やりと収穫が心配な畑に行きました。
これなら安心。
10日後には、また畑へ行けます。
小諸市で別荘を改装中の友人が「何とか泊まれるまでは出来たからどうぞ」と言う事で、数人で出掛けました。
深夜バスは、京都駅を22.03に出発です。
翌朝6.00には、信州小諸駅に着いて、改築途中の別荘へ。
特製の「囲炉裏」
早朝にも関わらず、父子で迎えて貰い、綺麗なリビングで豪華な朝食です。
一休みしてから散歩がてら「懐古園」に出掛けました。
闘将山本勘助が築いた「小諸城」は、明治の廃藩置県により、廃城となり今は石垣だけで「懐古園」として公開されて居
ます。
苔むした石垣は、天守、本丸、二の丸、三の丸が無いのが悲しそうです。
天守址からの千曲川。
三の門 大手門
町のあちらこちらに、藤村ゆかりの史跡が有ります。
千曲川旅情「小諸なる湖上のほとり、遊子哀しむ」
山口誓子、高浜虚子も過ごして居たようで、彼らの過ごした家も残されて居ました。
お城が壊された時に新たに祀られた「懐古神社」
昼食は老舗の「丁字庵」で
大勢のお客さんが来て居ましたが、何とか入れました。
鴨を焼いて・・。 くるみを混ぜ込んだ出汁で、信州蕎麦を。
信州信濃の蕎麦よりも、わたしゃ貴方の傍が良い。(僕の家内の言葉???)
別荘への帰途の「小諸本陣」跡は改装中でした。
一端別荘に戻り、休憩後「布引観音」へ出掛けました。
観音様までは、あの岩山のもっと上まで登らなくては。
立木観音様の倍くらいか少し多いくらいの距離をフウフウ言いながら。
登る間は、こんな瀧や、奇岩、奇木が楽しませてくれます。
着きました。観音様まで辿り着きました。よくまあ、こんな処に建てられたものです。
ここには、観音様が三体祀られていました。
暗くなってきました。さあ、お風呂です。
「あぐりの湯こもろ」で、温泉を楽しんでから、焼き肉で夕食です。
満腹で帰宅してからは、御近所から頂いた「破竹」を、手際良く調理して貰って、焼酎のアテに。
遊び疲れた一行は、10時にはぐっすり。
この破竹を頂いて帰り、ワカメと一緒に煮たら、美味しい事この上無い。