アーカイブ: 2019年6月

いよいよ収穫が本格的に

またまた10日間、畑に行けずでした。

幸いにも雨が多かったので、水の心配は無かったのですが、茄子もキュウリも生長しすぎです。

これ、お化けキュウリです

余りに大きくなり過ぎたキュウリ2本は、管理人さんのアドバイスで

このまま黄色くなるまで放っておいて、冬瓜の様に煮て食べる事にしました。

 

キュウリはよく育ちます。  プチトマトの収穫は少し先です

本日の収穫。トマトは、赤いのを2個獲ろうとしたら、こんなに立派な青いのも獲れました。

管理人さんに尋ねたら「このまま置いてたら赤くなるよ」と言う事で、楽しみに待ちます。


座間味ヨットレースのエピローグ

いよいよ帰京です。ヤンバルクイナが、翼の先に停まって居ます。

離陸待ちは渋滞です。

 

機は、那覇の街全体を見せてくれるように旋回してから、北に向かってくれました。

時速1015キロで飛んでるから、関空もすぐです。

明石海峡大橋   二色ヨットハーバー   関空橋

40フィートのヨットを、ハウステンボスから宜野湾までたった一人で回航して、我々を乗せてくれて、また一人でハウ

ステンボスまで単独航海のオーナーさん、本島にありがとうございました。

30日現在はまだ、硫黄島辺りなので、母港まではあと4.5日。

御安全に航海してください。


座間味ヨットレースその4

 

今日は、この高速船で座間味から那覇に帰ります。

結構な高波にも関わらず、艇速が出るので、凄いしぶきです。シートベルトをしっかり。

那覇の泊港では、友人がレンタカーでお出迎えで、すぐさま沖縄名物「タコライス」へ。

蛸は一切れも無くて、御飯にタコスらしき物が載せられています。美味しかったです。

  団結小屋は無人です

昼食後、基地巡りをしようかと決定。まずは「キャンプシュワブ」へ。

問題の最中ですから、物々しい警戒です。

  辺野古沖では、大層な作業が進んでいるようです。

基地移転問題、どうなるのかなあ。沖縄は気の毒だけど、だからどうすれば?

出口が予測出来ません。

 次は「嘉手納基地」

ネットで「道の駅かでな」の屋上が、ベストポイントと知り、そこから基地の全景を。

ここには、戦闘機らしき機器は見えず、補給などの後部部隊のようです。

次は「普天間基地」

ここは、余り近くからは見られず「嘉数高台」からなので、望遠を駆使します。

  オスプレイが。

やはり基地は街の真ん中に有ります。キャンブシュワブの「辺野古」へ移転かなあ。

緑の大きな建物が「コンベンションセンター」

その隣が「宜野湾ヨットハーバー」です。

那覇港には、超ビッグなクルーズ船が。こんなのが、次々と寄港しているそうです。

今夜は「ロワジーホテル」

豪華な造りでしたが、意外と安くて安心しました。

今回の旅のラストナイトは、街の居酒屋で。


座間味ヨットレースその3

  阿嘉島へ巡航する船

レース明けは、疲れも取れて快適。一足先に帰る仲間を見送ってから、島内観光です。

古座間味ビーチ

レンタカーは、4時間で6000円。

ビーチ遊びや、ダイビングの人が殆どで、それ以上借りても、行く処が無いらしいです。

泳げるのは、古座間味ビーチと阿真ビーチ、安護の浦の三カ所。

いずれも、南国特有の透き通った水でした。太陽が出れば、プラスコバルトブルーなのに。

 

座間味の花。

 

えっ、こんな木の上で暮らすのかなあ。

 

港には、来週のサバニレースに向けて、続々と艇が運ばれてきます。

 足で「木の下駄」を踏んで、舵を切るみたい。

  沖ではダイバー達が

雨模様でも有るので、余り期待して居なかったけど、なかなか見応えの有る島でした。

奇岩が多くて、ついつい目を奪われました。

  沖縄特有の「辻の御守り」

座間味役場は新しい。仏教は無いらしいけど、神社は?

座間味の街と港が一望

神の浜展望台、女瀬の崎展望台、稲崎展望台、チシ展望台、高月山展望台を全て廻りました。

このフェリーが一日一便

高速船が一日二便、座間味港と那覇の泊港とを結びます。

座間味は、いよいよ今夜でお別れです。

 


座間味ヨットレースその2

   強力メンバー八人

スタートは、8.30と8.50と9.10と9.30。

艇の速度が遅いグループから先にスタートします。我々は、9.30のスタートです。

 

ゼッケン10を付けた、トレーシースポーツは、9時30分のスタートです。

こうすることで、ゴールの座間味到着時間が同時に近くなるのです。

 友人からの画像。

スタート直前のトレーシースポーツ。

7時間もの間、こうして舵を持っていました。

豪雨と強風の中、オーナーは、カッパも着ずに短パンに半袖。

 

スタート時は穏やかだった海は、10時半頃から真っ黒な雲が現れてカッパを着る間も無くどしゃ降りと強風。

 

古座間味ビーチの黄色いマークを、反時計で廻ります。

実は、この頃は15時30分のレースのタイムリミットを過ぎていました。

悔しいから、とにかく予定通り回航しました。

 綺麗に走るライバル艇

気になってたヨットは、こんなセールを揚げていました。

 

座間味港では、鯨がお出迎えです。

レースには、50フィート、60フィートのカタマランも参加していました。

何と大きい事。

18時からは、座間味村の公民館で表彰パーティー。

トレーシースポーツチームは、昼間のユニフォームを着替えて参加です。

なんと、66艇中、52艇がタイムオーバー。

こんなに悲惨な結果なら、本部艇の方で短縮とかして、ゴール艇を増やさなくては。

何はともあれ、荒れた東シナ海を突っ切ったわれわれは「みすまるの家」でぐっすり寝られました。

「みすまる」は「御統」と書く、古代の装身具のこと。御主人のこだわりです。

よく話す奧さんと、思い切り寡黙な御主人(寅さんの大フアン)

ありがとうございました。


座間味ヨットレースその1

初めて座間味ヨットレースに参加出来ました。

我々が乗せて貰うヨットは、6月6日にオーナーさん一人が母港のハウステンボスを出港して、12日間を掛けて沖縄の

宜野湾ヨットハーバーまで回航されました。

艇名は「トレーシースポーツ」 J-12(40フィート)です。よくまあ、これを一人で・・・・。

大荒れしたり、のんびりクルージングだったりして6月18日には宜野湾に無事到着。

そんなところへ我々が、さっさと乗り込みます。オーナーさん曰く「ええとこ取り」やんか・・・。

はい、その通りです。ありがとうございます。

勿論撮影のOKは貰っています。

往きのJALの離陸時と着陸時は、ずっとこんな光景でした。ラッキー。

 バスルームから

2泊する「ムーンオーシャンレジデンスホテル」からは、宜野湾ヨットハーバーが見下ろせます。

 ホテルをヨットから見ると

庭も噴水も、いつまででも見て居たいくらいです。

座間味ヨットレースを戦う戦士が前祝い。あと二人は明日から参加です。

 見事に整理された船内

翌日は、セールや備品の点検。セールが一部ホツレていたので、手縫いで修理。

 

昼過ぎから全員で出港して、セーリング練習。雨の予報が外れて、快適なセーリングになりました。

 頼れるガンポールです

練習から帰港して、最後の点検。

 

宜野湾ヨットハーバーには、日本各地から様々なヨットが64艇集まりました。

中でも特に目を引いたのはこのヨット。

全く同じサイズのマストが2本立っているので、どんな走りをするのか?レースで逢うのが楽しみです。

  座間味での、停泊順序図

17時からは艇長会議。いろいろな注意事項が発表されます。

クラブハウスには、各艇のレーティング(ハンデ)が発表されていました。

 

レース全体のコース。   座間味に近づいてからのコース。

さあ、明日はいよいよ宜野湾から座間味に向かってスタートです。

 


小諸紀行その3

昼食をと思い、碓氷峠から降りてくると緑に染まった林の中に「旧三笠ホテル」が。

 

重要文化財のこの建物は、1905年に建てられて65年間、財閥の保養に使われたそうです。

部屋の造りを見て気が付きました。

我々が、一部屋ずつで泊まるのとは違い、どうやらフロア貸し切りとか、全館貸し切りの使用になっていました。

  

落ち着いた上品な造りは、やはり上流階級向きです。

 三笠のM、ホテルのHが、いろいろな部分に彫られています。

 

多くの観光客が、次々に訪れて居ました。

  

三笠ホテルの真ん前に有る、洒落たレストランで、カレーやタンシチューを堪能しました。

  サブ白糸も綺麗です

緑のトンネルをドライブすること30分で「白糸の滝」へ。

ホントに、白い糸が垂れているようです。大勢の外人も一緒でした。

 

浅間山の頂上も煙も、とうとう二日間とも見られませんでした。

G20の閣僚会議が開催されて居た軽井沢駅は、大勢の警官や警備員でいっぱい。

 オーナーさんは、ウッドデッキ造りです

せめてものお礼に、敷地の草刈りをさせて貰いました。

また、帰りも夜行バスです

小諸で快適な二日間を過ごした我々は、お世話になった民家のオーナー父子に丁重なお礼を述べて帰途につきました。

 


小諸紀行その2

静かすぎる古民家の夜は、快適な眠りが楽しめました。

昨日に続いて、今朝も豪華な朝食。

 

さあ今日は「G20の閣僚会議」真っ最中の、軽井沢へ。

在りし日の機関車が展示されています。

 かつての駅名標識

軽井沢駅には、歴史を感じさせる様々な物が遺されています。

  園内2周で200円。

いつの間にか、最近出来たばかりの「軽井沢駅遊園地」の、子供電車に乗っています。

 

別のホームには「ろくもん」が、予約の乗客待ちでした。

  

軽井沢から長野までの2時間10分で豪華ランチ付き、14800円。

今は無き草軽電気鉄道の機関車が有りました。

 このバスは、峠の上まで

レンタカーで、軽井沢ドライブの始まりは、やはり軽井沢銀座。

 

何処までも続く青々とした「灌木林」その中に、突然ホテルが。

  

万平ホテル」は、この林の中には最もふさわしい佇まいです。

皆で、ケーキとお茶を楽しみました。

お賽銭も、群馬県と長野県へ。

また、新緑溢れる中を登り続けると熊野神社へ。

ここが、旧碓氷峠の頂上で、今も昔も沢山の人が訪れます。

 

神木の「シナノキ」  珍しい狛犬

 

峠の茶屋も神社も県境を跨いでいます。

さあ、そろそろお腹が減ってきました。


畑も、気温が高くなりました

キュウリ、トマト、茄子、ジャガイモの順に撮影。

明日からしばらく、京都を離れるので、水やりと収穫が心配な畑に行きました。

これなら安心。

10日後には、また畑へ行けます。

 


小諸紀行その1

 

小諸市で別荘を改装中の友人が「何とか泊まれるまでは出来たからどうぞ」と言う事で、数人で出掛けました。

 

深夜バスは、京都駅を22.03に出発です。

 築200年の藁屋根は、トタンで覆われています。

翌朝6.00には、信州小諸駅に着いて、改築途中の別荘へ。

 廊下もこんなに素敵に改装

特製の「囲炉裏」

早朝にも関わらず、父子で迎えて貰い、綺麗なリビングで豪華な朝食です。

 空堀は一部埋められたものの健在です

一休みしてから散歩がてら「懐古園」に出掛けました。

闘将山本勘助が築いた「小諸城」は、明治の廃藩置県により、廃城となり今は石垣だけで「懐古園」として公開されて居

ます。

 

苔むした石垣は、天守、本丸、二の丸、三の丸が無いのが悲しそうです。

天守址からの千曲川。

  

三の門                大手門

 小諸と言えば「島崎藤村」です。

町のあちらこちらに、藤村ゆかりの史跡が有ります。

千曲川旅情「小諸なる湖上のほとり、遊子哀しむ」

山口誓子、高浜虚子も過ごして居たようで、彼らの過ごした家も残されて居ました。

お城が壊された時に新たに祀られた「懐古神社」

ここでは「寅さんシリーズ」の撮影も行われたとか。

昼食は老舗の「丁字庵」で

大勢のお客さんが来て居ましたが、何とか入れました。

 

鴨を焼いて・・。  くるみを混ぜ込んだ出汁で、信州蕎麦を。

信州信濃の蕎麦よりも、わたしゃ貴方の傍が良い。(僕の家内の言葉???)

 

別荘への帰途の「小諸本陣」跡は改装中でした。

一端別荘に戻り、休憩後「布引観音」へ出掛けました。

  

観音様までは、あの岩山のもっと上まで登らなくては。

立木観音様の倍くらいか少し多いくらいの距離をフウフウ言いながら。

 

登る間は、こんな瀧や、奇岩、奇木が楽しませてくれます。

 

着きました。観音様まで辿り着きました。よくまあ、こんな処に建てられたものです。

ここには、観音様が三体祀られていました。

岩のお堂から本堂を!!

暗くなってきました。さあ、お風呂です。

あぐりの湯こもろ」で、温泉を楽しんでから、焼き肉で夕食です。

  

満腹で帰宅してからは、御近所から頂いた「破竹」を、手際良く調理して貰って、焼酎のアテに。

遊び疲れた一行は、10時にはぐっすり。

後日談

この破竹を頂いて帰り、ワカメと一緒に煮たら、美味しい事この上無い。

 


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