八幡山は、7月24日の「後祭」に、市内を巡行します。
その時には、八幡山の前を3人の神事係が白扇を携えて歩きます。
その白扇は、毎年新調していますので、今年もその準備です。
町内の長老の筆に因る墨蹟に、朱肉印を押して仕立加工に出します。
2016年のお祭りでは、我が家の孫が大役を仰せつかりました。
巡行当日は、神事係の代表が市長さんに、粽と白扇を献上してから、巡行順序をしたためた「籤」を読み上げ
て貰います。
さの検分を終えたら、大きな仕草で「お山」を招き、市長さんの前で一回りしてから巡行を続けます。
その大切な白扇も、無事加工に入ったので、お祭りまでには綺麗に仕上がるでしょう。
祇園祭八幡山では、お祭り期間中に、厄除け粽や、鳩笛、鳩鈴、手拭いなどを授与します。
お祭りまであと一月を切った一昨日に、「粽」が届きました。
深泥池付近の業者さんが、北山の農家の人に委託して、一年がかりで造って貰っているものです。
トラックから降ろされた粽は、数カ所に分けて保管されます。
町内の、大口購入者には直接納入します。
粽に取り付ける五種類の「護符」(化粧紙)も一緒に大口購入者に渡して、取り付けて貰います。
残った粽には、7月10日に、町内の人が総出で護符を取り付けます。
これらは、全て車に積み込んで八坂神社へ御祓いを受けに行き、その後町内に配られたり、町会所で売られます。
こうして一年間、各戸の玄関で厄除けの任を果たしてくれます。
八幡山のお社は、何年前に建てられたのか?記録が無いので判りません。
総白木造りで、屋根は厚い檜皮葺。それを保護する為に、丈夫な雨除けの屋根がしつらえられています。
しかし最近は、白木部分の退色と汚れが顕著になり、皆さんが木にされていました。
また、欄干も一部損傷しておりそれが進みつつ有る状態でした。
そこで、業者さんに依頼して洗い加工と修理をして貰うことになりました。
御本尊様には一時移って頂いて、懸け布も取り外して。
僕の6歳頃からの記憶では、それ以後に洗われた事は無いので、よーく汚れています。
業者さんは、二人でまるまる二日間掛けて、機械や薬品を使いしっかりと洗ってくれました。
次々に綺麗な木の地肌が出てきます。
欄干も綺麗直りました。
気持ち良く洗いと修理が終わり、御本尊様に戻って頂いて拝礼。
これで、平成の大修理を終えて今年のお祭りが迎えられます。
6月16日、6.05に、ふるさと村を出港。今日も穏やかな様子で安心。
お蕎麦にハムステーキ???(残り物の処分です)
明石鯛を釣って居るのかなあ。明石大橋が見えてきました。
西行き航路のまだ内側を通過して東に向かったので、明石天文台がよく見えました。
急流で、何も無い処にこんなのが造れるのです。
大橋は、2.00に通過。母港まではあと3時間。連れ潮5knotのおかげで、艇速は11knotオーバー。
まだスタッフが居たので110リッターを給油してから、艇の後片付け。
19.00まで掛かって、充分に艇の整理と掃除をしました。
台風が近づいているので、台風対策も。
さあ、これで良し。帰るとするか。
前編18日、後編4日の行程で、無事に種子島、屋久島往復のクルージングが安全かつ楽しみながら終えられまし
た。種子島前に1日、細島で4日間の荒天待機は有りましたが。
オーナーの小山さん、クルーの藤原さん早川さん、ありがとうございました。
上関出港時は、僕の体調が優れず、そのまま休ませて貰いました。
真っ暗な瀬戸内海を、3人で航行してくれていたのです。
15日の5.20に僕が起き出したら既に明るくなっていました。元気回復。
来島海峡を右に見て「宮の窪」の狭い水路に入ります。
GPSで、自船の右に見える橋が、しまなみ街道の「大島大橋」の下が、一番狭くて急カーブ。
逆潮が2knot以上なら苦労の連続。また、連れ潮でも5knot以上になると舵利きが落ちます。
瀬戸内海は、実に多くの本船が行き交いますから、常に皆で周囲を警戒しなくては。
前からも後からも左右からも来ます。
風も波も穏やかなので、今夜は弓削島までの予定でしたが、行程を小豆島まで延ばす事に。
いよいよ瀬戸大橋まで帰ってきました。5月9日に西向きに越えて以来です。
泊まり慣れた「小豆島のふるさと村」に、16.40着岸です。
何と、実に1日で150マイル越の航海でした。これだけの長距離は初めて。
ふるさと村ホテルで、お風呂と夕食。ここはもう5.6回目かなあ。
明日は母港の新西に入れる。安心してビールが進みます。
御機嫌で、22.00にはぐっすり。