京都では、60年以上前から、仁丹提供の「住所表示板」が、随所に掲げられていました。
それが今では、老朽化して殆どが処分されたようです。
そこで、2.3年前からまたまた、仁丹から「京都じゅうの住所表示を再度お贈りましょう」となり、順次取り付けられています。
ホーロー製の重くて立派な板は、装飾と実益とを兼ねた貴重な物です。
我が家の柱にも、数年前に取り付けられましたが、最近は盗難に遭ってネットオークション掛けられると言うので、心配していました。
そんな時に、その大事な住所板が簡単には外れないネジを開発した会社から「無料でネジを差し上げますし、工具もお貸しします」との呼びかけ。
早速申し込みました。大阪の「ユニフアス」と言う会社です。
2.3日後には、特殊なネジと工具が送られて来て、取り扱い方法まで入って居ます。
もちろん、会社の宣伝パンフも有りましたが、工具返送用の着払い送り状まで付いて居るのには感謝感激です。
また、担当者から「着きましたか?」との電話まで。どのような姿勢の会社か、よく判ります。
さあ、それでは!と、取りかかったところ、今のネジが全く外れない。
いろいろな工具を使って、思い切り力を加えても取れない。ねじ込んでから、ネジ山を潰して有るようです。
そこで気がつきました。こんなに取れないのなら、無理にネジを交換する事は無いのでは?
ちょっと気がつくのが遅いくらい。
ユニファスさんには、丁寧に説明して、ネジも工具もお返ししました。
ありがとうございました。
八幡山の宵山から、ちょいと逃げ出して、近くの鉾巡り。
大きな邸宅では、屏風祭の装いです。祇園祭では、各家々でこのような「屏風祭」が行われます。
この奥の部屋では、大勢のお客様の宴席が有ります。
数日前に「万商手拭い」を差し上げたアンジェラさんが「こんなん作りました」と、届けてくれました。
素晴らしい仕立てです。ありがとうございます。
200年以上前に、雷雨と「禁門の変」で消失した「鷹山」は、お囃子だけが復興しています。
大船鉾のように復興して、巡行に参加出来るには10年以上の歳月と、2億円ほどが必要とか?
この他に「布袋山」も、復興を計画されて居るが、こちらはまだまだ煙のような状態。
帯の「譽田屋源兵衛さん」には、400匹もの鯉が泳いで居ました。
黒主山には、今年からこんな提灯傘が!
たまにはツーショットも!!!
17日の前祭が終わると、いよいよ後祭の八幡山の組み立てが始まります。
20日には、北観音山と南観音山の曳き初め。
曳き初めが済んだら、八幡山の骨組みを道路に出して、町内を担き始めで一周します。
21日は、町内総出で八幡山のお飾り。今年も見事に飾れました。
会所には、第一層の懸装品を飾り、道路のお山は、三番目の飾り付けです。
高島市からお越しの、とても元気な友人御夫婦が、釣ったばかりの「ビワマス」の刺身を届けてくれました。
3時には、八坂神社から神官を迎えて「清祓いの儀」
KBSのミサキングが生放送で。 町田からのお客様。 門川市長も八幡山へ。
こうして、21.22.23の宵山は、賑やかに盛り上がります。
以前からお願いしていた「沫那美神」艇での、若狭クルージングがやっと実現しました。
僕は祇園祭の様々な行事を昨日まで続けて、今日は自由の身に。
早朝から小浜の「うみんぴあ」へ出かけて、友人の35フィートヨットでクルージングです。
常神まで2時間半の航海で、文字通りの魚三昧を体験しました。
「うみんぴあ」を出港して、猛暑の若狭沖を航行する事2時間半、常神に着きました。
あじ、ヒラメ、鯛、太刀魚、サワラ、いかの活け作りに、生の赤ウニ、鰺とトビウオの唐揚げ。
最後に御飯と魚のおすまし。多すぎて残るかと思われたが、10人で完食。
まだ動いている魚を可哀想と言いながら、パクパクと口に運びました。
15時を過ぎたので、そろそろ帰途に着かなくては。
台風接近前の、穏やかな若狭沖を快適クルージングです。
沫那美神のみなさん、ありがとうございました。