滋賀県高島市新旭町にある「針江生水の郷」(はりえしょうずのさと)は、湧き水の町として知られる、静かなのどかな村です。
そこに住まいする友人夫妻を中心にしたテレビ局の取材が有りました。
その撮影風景の画像を貰ってみたら、何と友人のNさんの胸に「万商」の手拭いが!!!
「京呉服卸」の文字も見えます。
Nさんはビワマス釣りの名人で、何度も一緒に釣らせて貰って居ます。
残念ながら、僕だけではまだ一匹も釣れずですが。
この日も、生水の湧き出る「川端」(かばた)の話は勿論、ビワマス、鮒寿司の紹介も有ったそうです。
残念ながらこの日の取材は、外国のテレビ局とかで、僕たちは放映が観られません。
でも、この生水の郷は、ガイドさん付きで7.8カ所の湧き水の見学をさせて貰えるので、とても人気が有り、僕も3
回廻っています。必見の価値有りです。
今朝の京都新聞の一面に、とうとう掲載されました。
祇園祭の巡行が、7月17日は23基、7月24日は10基の山鉾に分かれて巡行することに決まりました。
まだまだ調整すべき部分が沢山有りますが、大筋で決定したので、あとは順調に進むでしょう。
17日は、八坂神社から御神輿が出られるのを歓迎しての「神幸祭」これが先の祭り。
24日は、御神輿が八坂神社へ還られるのをお見送りする「還幸祭」これが後の祭り。
昭和40年までは、このように本来の形で巡行が行われていたのですが、警備や観光の都合で17日に一度に巡行する
ようになって久しいので、このことを知らない人も多いのです。
そろそろこのあたりで、お祭りを本来の形で執り行うようにしないと、元のお祭りの形が忘れられるのでは?
との思いで、祇園祭の町衆が準備に準備を重ねてやっと実現となりました。
僕の住む「八幡山」は、後祭り10基のひとつなので、17日はのんびりと家の前を巡行する先祭りの23基を歓迎して、
その数日後から「おやま」の準備に取りかかります。
48年もの間の慣習に慣れて居るので、来年のお祭りが果たしてどんな事になるのか?
来月には役員会議を開いて、いろいろな打ち合わせをすることになっています。
何年も前から行きたかった、近江商人の発祥の地「五個荘」へやっと行けました。
自分も「高島商人」の血を引くので、一応は近江商人と言えるかな?
主な商家の見学が便利に廻れるようにしてくれています。
商人屋敷は、東近江市金堂地区に多く点在します。大きな鯉の泳ぐ川が、それぞれの家に引き込まれています。
礼節、しまつ(倹約)、謙虚、神仏と御先祖を敬うのが近江商人の基本です。
琵琶湖を象った池
格天井(ごうてんじょう)や、立派な赤松と、珍しい庭石の庭。井戸には織部焼きの滑車。
主人家族や、従業員全員がその商人の理念を忠実に守ってこそ、このように立派な本宅が持てたのです。
多くの人が働いた台所。100年以上前に「圧力釜」が・・。
先発隊6人が今回も、POCO-A-POCOさんに乗せて貰って、8月12日の22時10分に新西を出港。友ケ島水道の手前で日の出を迎えました。
POCO-A-POCOは、HR(ホルベルグ-ラッシー)と言う、デンマーク製の頑丈なヨットで、安全、快適な航行を何度も体験させて貰っています。。
ケンチョピアには、13日7時半に到着して、今年もこの料亭「伊月笹乃庄」の6階に泊めて貰う事に。
気分サイコーの露天風呂は6階に有り、眺めが爽快です。日焼けベッドで昼寝も出来ます。
パーティーまでに、200円の「ひょうたんクルーズ」徳島市内を廻ってくれます。
4時から艇長会議で、5時からはウェルカムパーティー。
「奴連」の皆さんが、ヨットの前で息の合った踊りを披露してくれます。
パーティーの後は街へ出て、観覧席で「阿波踊り」を堪能しました。
さあ、明日はいよいよレース本番。
ところが、僕のミスで深夜まで4人が寝られない羽目になり、寝不足のままのレース参加でした。