またまた、同志社大学生の演劇公演に出かけてきました。
主に、京大、京女大、同志社の演劇によく行くのですが、若い人の情熱には毎回感心させられます。
彼らには悪いのですが、素晴らしい出来映えの出し物や、あかんなあと思われるような出し物でも、10人から15人くらいの学生さん達が、力いっぱい演じて居
ます。
あかんなあと思う時でも「長い難しい複雑な台詞をよくまあここまで覚えましたね」と、アンケートには書きます。
今回も「愛情マニア」もそちらの方でした。
時に、台本が良くて、出演者全員のレベルが同じくらいに高くて(レベル違うキャストが有ると観るのがつらい)グングン引きこまれる芝居のときが有ります。
それを期待して、毎回通います。
さあ、これらの芝居は、どんな仕上がりになるのかなあ。
65年来の友人が取り仕切っている「カウンスルの会合」にまたまた招待されて、家内と共に参加しました。
我々にはなかなか理解が難しい、高尚な目的の為に設立された会で、もう何回も参加したにも関わらず、何をする会なのかがハッキリ判りません。
ITC日本リージョンと言って、スピーチや物事の運営のスキルアップの為にお互いに勉強しあう会の、関西地区の会と判断しています。
1924年にアメリカで始まった「トーストマスターズ」と言う男性だけの会から「トーストミストレス」と言う、女性の会が生まれた。
それが日本に入ってきて、多くの人の交際力のレベルアップに貢献しているようです。
我々のような招待客以外は、みんな英語がペラペラのようで、英語でのスピーチも多く有りました。
みんながドッと笑ってるのに我々は判らず、通訳が有って初めて笑います。
会の、決算報告とか、役員の引き継ぎなどの事務的な事は、のんびり拝見していました。
見事な口上でした。
スピーチの中に「日本の花鳥風月の高尚、風流」の良さの話しが有りました。
そして「オノマトペ」という「だんだん、やれやれ、そわそわ、ジリジリ」のような日本独特の表現の良さ。
「てりむくり」という、独特の表現。上がって下がっての美。
日本語は奥深くて趣が有るなあと感じさせられました。
そして昼食。ホテルの美味しい和食でしたが、ちょっと少なくて、アルコールも無しで、さみしーー。
余興の狂言「棒縛り」は、最高に楽しかったです。
小学校の1年生からの幼友達「敦ちゃん」今回のイベントの取り仕切りは凄い。
招待をありがとう。
今回も、ミドルボートクラブ「あじさいレース」の本部艇を担当させて貰いました。
ベテランヨットマン3人と、孫娘二人とその母親が乗船して、MATSUSYOU(マイレディー25)は、賑やかでした。
艇長会議が終わると、先ずはマーク二個にエアを入れて、スタート水域に向かいます。
十艇のレーサーは、次々に登場して、思い思いにサークリングしています。
10分延期で、111時10分のスタート。左の紺色の旗が降りたら、スタート1分前。
真ん中の、赤白旗が降りたらスタートです。
風がよく吹いて居たので、リコールしないように、全艇が控え気味。本部艇は助かりました。
リコール艇が出ると、再スタートを切ってもらえるかどうかがとても心配だから。
当初は強めの風ながら、だんだん落ちてきて、僅かながらコース短縮をしました。
ファーストホーム艇と、ラストゴールの艇は、8分しか空いてなくて、流石にミドルボートクラブレースです。
1艇のリタイアが有ったものの、全艇無事に帰還。マークをすぼめて、帰港です。
パーティーでは、美味しい料理とバンド演奏が賑やかでした。
観戦に来られて居た「CARAMEL RIBBON Ⅲさんが、本部艇の様子を流してくれました。
7人とも、よく働いています。
余談ながら、新西のミドルボートクラブレースでの、なかなか面白い動画が有りました。
スピンが破れレースるくらいで、怖いけど参考になります。
現在、祇園祭の山鉾は、前祭23基、後祭10基で23基です。
でも「休み山」と言って、過去には存在したが、諸々の理由で巡行していない山が2基有ります。
そのひとつ「鷹山」が、数年先には再建されて後祭巡行に参加出来そうです。
そのお山を紹介すると言う会が有ったので出かけてきました。
鷹山町内では、3人の人が再建に努力されていて、最終的に全員投票されたところ、僅差で「再建決定」
となったそうで「公益法人鷹山保存会」の設立も実現。
お囃子は数年前から始められて、今では45人の囃子方が、月に3回も稽古をされています。
お山の再建には、費用もさることながら、色、形、材質から検討しなければならずなかなか難しいようです。
それでも、いろいろな文献や屏風、写真などを参考に着々と作業が進んで居るようなので楽しみです。
ウィキペディアでは、以下のように紹介されています。
鷹山(たかやま)は、京都の祇園祭に有った山鉾の1つ。現在は休み山である。
現在の京都市中京区三条通室町西入ル衣棚町。応仁の乱以前に起源を持ち、「後祭」で大船鉾の直前を巡行した「鬮取らず」の大規模な曳山だったが、文政9年(1826年)に激しい夕立に遭って懸装品を汚損したことを理由に休山していたところ、元治元年(1864年)の禁門の変による大火で御神体、鉦、一部の懸装品を残して焼失。
長く宵々山と宵山の両日に残された御神体と懸装品が同山の町内で展示されるのみで、一般への粽の販売も行わないという控えめな居祭(いまつり)を行っていた。1972年からしばらくは、宝物の一般公開もせず神名を記した掛け軸を祀るだけという居祭を行ったこともあった。
しかし、2014年の大船鉾の復活にも触発され、2014年に祇園囃子を復活させた。2015年には一般社団法人の保存会が発足し、2016年1月には公益認定を受け、公益財団法人鷹山保存会となった。2015年の祇園祭から粽等の授与や祇園囃子の演奏を復活させ、巡行に参加しなくなって200年後の2026年までの復興・巡行参加を目指している。
昨年、或る人からの指摘で、八幡山の鶴の足が一本足りないことが判明。
過去の写真を調べてみたところ、数十年前から1本になっていました。
お山に飾り付ける「鶴金具」は七個有りますが、その中で一番大きな、正面に取り付ける「二羽鶴」の足が一本無いのです。
そこでいろいろな人の協力を得て「足の新調」に取りかかり、今年の巡行に間に合うように、やっと新しい足が一本着きました。
中間報告で、取り付け前に拝見。
無事に取り付けられて、色合わせも完了。
大事に町内に持ち帰り、収蔵庫に収めました。
天保7年に製作された「鶴金具」は、職人さんが驚く程の高い技術で造られているそうで、改めて当時の人達の意気込みを知らされました。