8時20分に、8人の乗船で「Sailor`s Moon」ヤマハ37は出港。
9時30分、適当な風の中NO3のワンポンで、ジャストスタート。
まだこの頃は、時々ブローが有るものの「これなら大丈夫」と、ワンポンを解除。
10時30分頃から、ゴーゴーと吹き始めて度々オーバーヒール。
そのうちに、ジブセールがビリビリと破れ始めた。波に叩かれながら、ジブセールをNO2に交換。
この間に、だいぶん抜かれる。風と波はますます上がるので、ジブをリーフ。
僚友の「LongLong」とミートしたがうちが前。それも、ここまででした。
そのうちに、後の艇が少なくなってきたので、オーナーさんが、起死回生の「ジェネーカー展開」をコール。
しかし、若者が誰も動かないので、オーナーさんがセットしてやっと揚げたが、それが揚がりきらないうちにまたビリ
ビリ。
もとのNO3に戻して、安全セーリングです。
傍では、大きくブローチング。(GONTAらさんのブログより)
もし、ジェネーカーが揚がっていたら、こんな目に遭ってたかも?
ジャイブが危険なくらいの風波なので、巻き取りジャイブかタックジャイブか考えて、
タックジャイブを2回打ってやっとゴール。
2時間40分程の、短時間では有ったが、大変に疲れた。
これを本部が先に見ていたら、中止だったかも?
12メートル以上の風、1.5メートル以上の波、視界1キロ以内が中止の条件だったから。
予定外で、舵を担当した友人K氏は、桟橋に着いたとたんに、バタン。雨が降り始めてやっと起きました。
お疲れ様でした。
予定ではこの後、4日前から来たコースを戻って、9月1日には別府に帰る予定だったが、台風の動きが悪く、数日間
はとても帰れないとの判断で、ハウステンボスにヨットを置いて帰る事に。
京都組4人は、急遽JRの手配をして帰途に就き、夜の21時には無事に帰宅出来ました。
オーナーさんは、また回航の手間が・・。すみません。
ABC暮らすの成績表。
平戸出港は、この日の航行距離が少ないのと、針尾の瀬戸の大潮に合わせてゆっくりの8時20分。
潮がピッタリ合って、丁度11時50分の潮止まりに瀬戸に入り、スイスイと通過。
大村湾に入ると、あと40分でハウステンボス。見慣れた建物が見える。12時30分に入港。
ヨットレース参加者は特別入場券が貰えるので、早速テンボス内をウロウロして遅い昼食を摂ります。
ハウステンボス内のタクシーは、200円。スイスイと走ります。
しかし、この頃からゴーゴーと、20knot越えの風が吹き続けます。どうなるのかなあ。
先ずは1泊目。ハウステンボスと言えば、やはり風車とイルミネーションです。
二日目、4日分の洗濯物を洗いましたが、すぐに乾きます。カッコ良いヨットが物干し場に。すみません。
洗濯している間に、オーナーさんが大量のソーメンを湯がいてくれました。
テンボス内の、若者料理が多かったので、これは嬉しい。4人で12束をペロリです。
レース用のゼッケンを付けた艇がいっぱいです。
別の艇に乗る、唐津のお二人がお土産を持って来てくれました。来年は、そちらに乗せて下さいね。
17時30分から艇長会議。明日のエントリー艇名と、12マイルのコース図が発表されました。
台風を取り巻く風の影響が、どんな事なるのか、誰も予想がつきません。
秋のような雲、台風が来てるからなあ。いよいよ前夜祭の始まり。
飲み放題食べ放題で、恒例のベリーダンスが賑やかです。
唐津からの美女二人が挨拶に来てくれました。
ダンスが30分、その後花火が30分、そしてまたダンスが30分。また花火が30分。またダンス。
美女とダンスと花火と、どれに集中するかそれが問題だ。
大騒ぎの後、前夜祭から参加の為JRで駆けつけた京都の仲間を加えて、予約したホテルローレライへ。
ホテルの大温泉に入ってから、ハウステンボスを見下ろせる部屋でゆっくり。明日に備えます。
今年もハウステンボスレースに参加が出来ました。
毎年乗せて貰うヨットが参加出来なくて、別府の艇にお願いして別府からの回航から参加です。
レースの五日前23日に、先ずはJRで別府まで行き、翌朝午前3時に出港。
爺さん3人は、オーパイを掛けて、吞んで食べての順調な航行で、9時には関門海峡へ。
関門からは、チョイ波の響灘を9時間半を掛けて2艇で「宗像大島」へ。何と15時間の航行。
頑張って走りすぎたので、日没ギリギリになり、同行のもう1艇はこの後真っ暗な中を入ってきました。
島の唯一の居酒屋で、5人が新鮮な魚で一杯。
翌朝は6時30分に出港して、12時には「呼子」へイカを食べに入港。
この沖を通過するヨットマンは「呼子のイカ」を食べてから、先へ進みます。
活イカ刺し定食2800円。美味い。下に包んだゲソは、すぐにテンプラにしてくれます。
ちょっとのんびりしすぎて、14時30分に呼子を出港して、次の停泊港平戸に急ぎました。
平戸大橋が見えてきたから、あと40分で入港。17時30分でした。
桟橋の向かいの高台に見える、平戸城。
ここでは、80リットルの軽油を補給して、近くの温泉に浸かってから、小さな食堂で夕食。
年に一度の、BSCA賞金レースに友人のヨット「レスポワール」に、乗せて貰って参加しました。
スタート前に、mugenとスライド。ユニフォームとボーシが揃っています。
11時にスタートして、13時15分のゴールまで、暑い暑い。
今日のレスポワールは、いつもの3人に僕が入っただけの4人。
吹いたら大変だーーー。
でも、適当な風に恵まれて楽しく走れて、みんな満足でした。
Tracer、プリアス、Bacchus、MORE&MOREⅡ、SC MOANA、ミスクロは負けたが、mugen、Buddha、VERANOなどの艇には勝てた。
レスポワールさんには、9月11日も乗せて貰います。よろしくお願いします。
大津市坂本に住む友人が、近くの浜の清掃を始めてもう2年。
5月頃から、この浜の「藻」退治をしています。
僕も時には手伝いに出て居ますが、とにかく広いのと、次から次から押し掛ける藻に、友人は毎日大格闘です。
先日も、僕の他に二人が手伝って、4人で奮闘しました。
数日前に、友人が浜に引き揚げておいた藻が、枯れて乾燥しているのでそれを袋詰め。
次々に袋が積み上がります。
先週に詰めた袋が35,本日の分が75袋。110を越える袋を、車が入れる処まで運んで完了。
大津市が、回収に来てくれるでしょう。
これが、この夏何回続くのか?これから浜に漂着しそうな藻は、まだまだいっぱい見えていました。
ヨットに乗っていて、藻を引っかけて航行不能になったことも度々有るくらい、藻は琵琶湖の悩みです。
こうして、浜に漂着すると、腐敗して見た目も悪く臭いもきついので、友人はこれの退治に目覚めました。
8月19日、友人ファミリーと一緒に、琵琶湖クルージング。
mugenから借りた陽除けは快適。太陽を遮って、心地よい風だけがすり抜けます。
子供達には、とても良い思い出になったようです。
お盆には、必ず滋賀県高島市の「玉泉寺」にお参りして、親戚のお墓と、お仏壇にも参ります。
0歳から6歳までは、玉泉寺の傍に住んで居たことも有り、とても懐かしい場所です。
僕よりも年下の住職が、もうこんなになられて・・。
いつも、いろいろな説法を聴かせて貰えます。
今回は「執着する事は最大の苦しみで有る」それがなかなか、欲を捨てられないのです。
坂本の西教寺の末寺で、500年以上の歴史を持つ、格式高いお寺のようです。
小高い丘に建つ玉泉寺から、安曇川平野が見渡せます。
16日は、我が家にお寺さんを迎えて、一族が集まってお経を読みます。
読経の後は、10数人で昼食、宴会。これも恒例です。
またみんな、来年も元気で顔を揃えよう。
今年も行きました「阿波踊りヨットレース」
いつもの「POCOA POCO」さんに、mugenから6人も押し掛けての参加です。
12日の23時に新西を出港して、13日の10時に徳島のケンチョピアに入港。
市内巡りのボートを楽しみました。
17時からは前夜祭で、お酒と食べ物がふんだんに出ました。
ラブニールさん御夫妻も、駆けつけて来られました。
翌14日は、8時30分にレーススタート。12マイルのコースに臨みます。
重いPOCOA POCOは、最初の微風で苦労したものの、少しずつ風が上がってきて快調に走ります。
6knotから7knotで、楽しいスピンラン。しかし、前半の遅れは挽回出来ず40着。
レースの夜は、笹乃庄さんでの大宴会。いつもながら、凄い豪華版です。
女将さんの都々逸、ありがとうございます。
今年は、初めて18歳の孫も参加です。
笹乃庄さん御夫妻には、毎年大変お世話になっています。
ヨットの停泊場所確保から、食事、泊まりまで、全てに渡って。
もう10数年の間、八幡山のお手伝いをしてくれる「町外協力者」のU君から「八幡山の鳩笛が、テレビに出てました」とのメール。
1992年放送の「暴れん坊将軍」に、出ています。
もっともっと、浸透させなくては。