5月13日7.20に内の浦港を出港。前夜は大雨でしたが、やっとあがりました。
今日の行程は40マイル以内なので、出港も遅らせて、みんな楽々気分です。
ところがところが、前からの2knot以上の黒潮と2knotの風と波に阻まれて、艇が進みません。
対地速度は1knotから2knotしか出ないのです。
13.30現在で、GPSが、種子島への到着時間を22.30分だと!!
初めての港へ暗くなってからは危なくて入れません。
それに、艇が前からの波に叩かれて何度もドーンドーン。
泣く泣くUターンした航跡が計器にハッキリ残りました。
近くて遠きは種子島。読みが甘かったです。
16.00に、無事に内の浦へ逃げ戻って溜まった洗濯物を片付けました。
4人分の20キロ以上を一緒に洗って、乾燥してから分けます。パンツを間違わないように真剣です。
昨日と同じ国民宿舎の温泉に、また入れました。橋のたもとにも「ロケット」が。
波に叩かれたし、Uターンしたと言う残念さも有りみんな早めに寝ました。
翌14日は、万全の覚悟で5.20出港です。漁師さん達の景気良い定置網の水揚げを見ながら。
計器は、水深40.5メートル、艇速6.57knotを指しています。
風は後から吹いて居ますが、弱いので 風向計は前を指して居ます。
このロケット基地を、また見ることが無いように。種子島に着くぞー。
こんな時は、風や波や潮に負けることが無い大きい船が羨ましい。
昨夜皆で立てた作戦は、直接種子島を狙うと黒潮に逆らうから、遠回りながら、今日は錦江湾の山川港に入ろ
う。
そして明日、黒潮に押し流されながら種子島に向かう。
そうして、大隅半島に沿って南下しいてると、進行角度がいけるぞ、いけるぞと・・・。
出港して5時間後の10.10に「種子島を狙おう」と決定。急遽舵を左に切ってセールも展開して、種子島の
西表港に向かいました。
少々の黒潮は感じられたけど、少しずつ近づいている。みんな余り口には出さないが「行ける」と言う顔を!
沿岸警備艇が、急にどどっと寄ってきて、サーと去って行きました。
4人とも、仏さんのように善良な爺さんばかりですから、決して怪しく有りません。
艇はジリジリと、種子島の西表港に近づきます。やったー。
来た来た来たぞ種子島、燈台までがロケットの形です。警備艇に訊いてから係留場所へ向かいます。
14.00無事に、決められた場所に艇を繋いでホッ。この日は50マイルほどの行程。
種子島漁協の真ん前です。ここへの到着は明日になると諦めていたので、良かった。良かった。
早速に街を散策です。郵便局さえ嬉しい。物資運搬専用のフェリーが有るとは、知りませんでした。
艇の傍でサビキを降ろしたら、1時間くらいで小鰺が25匹くらい来ました。
早速唐揚げにして、肉と野菜炒めと一緒にテーブルに出ました。骨までカリカリ。
艇の前がお風呂とは、これは嬉しい。スーパーもその隣。
昨日の挫折とは打って変わって満足な夜でした。
5月10日8.00に弓削島海の駅を出港です。気持ち良く晴れています。
ちよっと遅めの出港なのは、潮の難所「宮の窪」が、9時頃までが逆潮で進めないからです。
うまく潮が合ったので、スイスイと30分で通過です。潮止まりでは有りますが、そこここで、渦を巻いていま
す。
それからは、快調にセーリング。
昼食は、海が荒れて無いのでゆっくり調理出来ます。炊き込み御飯に八宝菜。
周防灘の南側を、佐田岬に沿って快調に西へ西へ航行中。左の計器は水深54.5メートルを表示。
真ん中の計器には、細長い佐田岬と、その右を航行する「POCOA POCO」の黒い船形が。
右の計器は、風の方向と強さで、9.2knotの表示。
艇が6knotくらいで走って居るので実際は、矢印の方向から3.2knotの風と言うことです。
この他にも、POCOA POCOには最新の計器がいろいろ有るのでずいぶんと助かります。
左は満潮時で、右は干潮時。2メートル近い干満の差が有るので、舫うロープの長さ調整が必要です。
ここには、有名なヨット好きの「福ちゃん」が居て、いろいろと我々の世話をしてくれますが、81歳にもなっ
た福ちゃんに、余り迷惑を掛けてはいけないと、連絡しないでおきました。
何と贅沢な夕食。ここはお風呂までが遠いので諦めていたら、艇の目の前に旅館が!
今日はお客が無いけど、一人500円で湧かしてあげると言う事で、湯に浸かれました。
11日6.00に三机港を出港。穏やかな海面と青空です。
佐伯大島を右に見ながら、蕎麦昼食を頂きました。
細島港に入ったのは予定よりずいぶん遅れて19.20。
日没を過ぎたので、航海灯も点けました。
左舷に赤灯、右舷に緑灯が有るので、艇がどちらに進んで居るのかが判ります。
赤と緑が見えたら危ない、向かってきているからです。
ここもお風呂が遠いので、すぐに就寝です。
7.8と11はお風呂なし。9日は、辛うじてシャワーが有りました。
12日5.15に細島港を出港。
鵜戸神宮は、望遠でお参り。
内之浦港に、18.20到着。徒歩15分の国民宿舎のお風呂に入れました。
わざわざ鹿児島から駆けつけて、舫いを取って貰い、給水や給油のお世話をして貰ったヨット仲間のNさんと
「網元」で宴会です。
100リッターを給油、100リッターを給水して、食料や備品の買い物も出来ました。
八坂神社が見えたので、是非御挨拶しなければ。
こうして、6日目の夜を内之の浦港で迎えました。
今年も、爺さん達は長期クルージングに出掛けました。
ヨットは「POCOA POCO」HRの34、計器フル装備で、フルドジャーなのでカッパ要らず。
大変信頼のおける艇で5月8日に、西宮を出港しました。
相変わらず、僕の荷物が多いの非難の的です。そこへ、33000円の食料を買い込み。
8日の朝8.00に出港して西へ西へ。明石海峡は11.30に通過。
オリーブラインのフェリーを見ながら、17.00シータイガーに着岸。
近くに大きなダムが有って、その下が温泉!だが定休日。残念。
翌9日は、5.15にシータイガーを出港。
小豆島の北側、大阪城で使われる予定だった石が、数百年も放り出されています
大きな船舶に、行き交ったり追い越されたりしながら瀬戸大橋へ。
プロパン船 10.40瀬戸大橋が後に
今日の昼食はヤキソバ。荒れて居ないと、火傷の心配が無いので何でも出来ます。
17.15に、弓削島の「海の家」へ。ここへはもう、数回泊まっています。
予定していたホテルのお風呂は工事の為、臨時休業。もう三日も入ってない。
でも、昨年オープンしたばかりの「海の家」は、シヤワー、トイレ、コインランドリーが24時間完備で嬉しい。
クルージング3泊目の夜は、シャワーを浴びて快適です。
今夜から出発のクルージングの荷物が出来上がり、待機時間が出来たので、以前から掲載仕掛けていた記事を完成させることにしました。
先日、日吉大社の「山王祭」についての記事をブログ掲載したところ、記事をみてくれた人からアドバイスが有りました。
日吉大社の鳥居は、てっぺんに三角が付いてるのが特徴。
京都の室町仏光寺にも、日吉大社が有る。
それについて調べてみました。
全国で選りすぐりの数十社が、官幣大社として指定されたその中に、日吉大社も含まれています。
笠木の上の三角は、神仏混淆(こんこう)とか、神仏習合と言われて、神道と仏教が一体化された時の名残だそうです。
鳥居の上の三角は、お寺の屋根を表しています。
今では、日吉大社と日枝神社が分詞された祠にしか、この鳥居は残って居ません。
京都に有る、日吉大社にお参りしてきました。
呉服業界全盛のかつて、この付近は着物屋さんが軒を連ねて凄い勢いでしたが、最近は静かです。
その一角に、有りました、有りました。
平安末期から室町時代に、頻繁に行われた「強訴」は、各地から御神輿を担いで朝廷に押し掛けたのです。
しかし強訴が退けられて、日吉大社の御神輿が、この付近に放り出されてしまった。
それを見た近隣の人達が「勿体ないことだ」と、お祀りしたのが始まりだそうです。
その為か、今でも日吉大社のお祭りには、この小さなお社からお供え物が届けられる事になっています。
いろいろな歴史が残されている、京の町、まだまだいろいろと有りそうです。
岐阜の垂井祭に出掛けました。
京都から東海道線で100分、垂井駅に降り立つと、竹中半兵衞が迎えてくれます。
この街は、半兵衞との縁が深いらしい。
駅前の観光協会で、資料を貰っていろいろな予備知識を。
垂井の街を流れる相川では、この時期に無数の鯉が舞うらしい。
この垂井の宿場は、江戸から440キロで、中仙道の58番目の宿場です。
家々では、お祭り仕様で盛り上がっています。
曳き山の収蔵庫
攀鱗閣、鳳凰山、紫雲閣の子供達が今年演じる歌舞伎の解説。
祇園祭よりは小振りながら、素晴らしい細工の曳き山です。
お祭りを支える人達の様子がうかがえます。
9歳と10歳の子供とはとうてい思えないくらいの所作と台詞の出来映えに驚きました。
忠兵衛と梅川の死出の道行きも、悲しいくらいに演じます。
大役を終えた豆役者は、肩車で退場です。ありがとう。
次の歌舞伎は夜になってから。紫雲閣は街中を練ります。
時間が合わないので、3本の歌舞伎の内、2本しか見られずでした。
また来年です。
垂井からの帰途「せきがはら」と言う駅が有る事を初めて知りました。
天下分け目の関ヶ原の合戦の、東軍と西軍の武将の名前が掲げられていました。
西軍として参戦したのに、途中から東軍に寝返った小早川秀秋は西軍に。
永いお付きあいの「POISSON ROUGE Ⅱ」さんに、初めて乗せて貰いました。
天候も気温もベストな条件で、気持ちの良いセーリングです。
当初は吹きすぎかな?との心配も、北湖に行くと風が落ちて、漂流しながらのんびり昼食。
折り返して、琵琶湖大橋に向かって機走しているうちに、またまた良い風が出て来ました。
腰の重いヤマハ26Cは、少々吹いても落ちついて居られます。
往きしに、琵琶湖大橋で帰途に就くmugenに手を振ったので、彼らは北湖が荒れて居ると思い、何度か電話とLIN
Eで安否を尋ねてくれてたそうです。こちらは、のんびりセーリングしてたし、電話にも気づかず。
マリーナ雄琴に戻ったら「ひょっとして救援に・・・」と思って、mugen内で待って居てくれたようで、気の毒な事
をしました。
爺さん達二人が、無事に帰港したのを見て、彼らも帰りました。有り難う。
POISSONさんのキャビンを初めてゆっくり拝見しましたが、なかなか工夫が凝らされていてとても乗りやすい使い
やすい艇です。
トイレも、シンクも、テーブルも、ベッドも物入れも実にうまく設定されて居ます。
POISSON ROUGE Ⅱさん、ありがとうございました。
こんなに楽しいセーリングを、またまたよろしくお願いします。