1月29日は「琵琶湖ミドルボートクラブ」の、新年初戦です。
例により、mugenは本部艇担当でしたが、mugenのメンバーが、予定より多く集まったので(9人)、クルーヨットVIVAPARAと、mugenでの運営になりました。
mugen艇上の電光掲示版では「BMCのみなさん、今年もよろしくおねがいします。寒い中ですが頑張って下さい」とのメッセージを流しました。
ニュースピンの効果発揮で、進水2年にして初優勝の「Laguna Boys」さん。
おめでとうございます。
珍しく、奮わなかったTracerさん。
コース選択と、ベテラン乗員が功を奏してファーストホームはお見事。プリセスアスカさん。
ゴール前での、more&moreⅡさんとのデッドヒートは、本部艇を楽しませてくれました。Bacchusさん。
セカンドゴールの、四塩化一黄酸。
我が家は、父が昭和21年からここに住み始めて、昭和55年に家を拡張しました。
その時から、子供達3人の身長を年に2回くらい柱にメモしています。
その後、平成8年から10年の間に3人とも結婚独立。
今度は、次々に産まれた孫7人の身長をメモしているので、もうそのメモが150枚にもなって、不鮮明なのも有ります。
その子その子によって、短期間に一気に伸びた子や、コンスタントに少しずつ伸びる子。
自分の親の年齢の処のマークをみて「父ちゃんに勝ってるとか負けてる」とか、大変楽しみにしています。
ところが最近、何人かの計測は、僕が椅子に乗らないと出来なくなってきて、過ぎた歳を感じさせられています。
いつまでこの計測が出来るのかな?曾孫の計測は出来るのかな?
京都会館での、岡田監督の講演会に行ってきました。
ひょうひょうとした風貌からは、とても大きな仕事成し遂げた人には見えません。
ところが、話しを始めるとイメージは一転。
90分の間に発せられた言葉は、記憶に残したい事ばかりで、よくぞ筆記具を持参したと喜びました。
メモを頼りに、感動した内容を書き連ねてみます。
ワールドカップで、日本チームをかつてない上位までのしあげて、のんびりしようと思っていたところへ、中国の杭州チームからの招請が有り、自分はまだまだ挑戦すべきだと決められた。
東北大震災の折、息子が現地に住まいしていたので、心配では有るが全く連絡が取れない時間が続いたとき、ちょっとは名前を知られている自分でもこんな時には何の役にも立たない。
有名人でも、著名人でも、大金持ちでも、たぶん何も出来なかったであろう。自然現象は、何ものも制御出来ない。
それなのに、トイレの無い家を建てるがの如く、浄化方法のない廃棄物が大量に出る原発を容認したことは、自然への冒涜です。
我々は、今のこの地球を、大自然から借りて居るのだから、大事に永く保存して、子々孫々までも保存しなくてはならない。
サッカーの監督をしている間、選手と飲食はしませんし、仲人などのお付き合いもお断りしていました。
何故なら、勝つためにいろいろと過酷な決定を宣告することの多い立場では、選手とのしがらみが障害になります。
サッカーで気がつきましたが、他のスポーツや、仕事でも言えることは、現実から離脱した「無心」の境地に入ったときに、最高の力が発揮できる。但し、充分な鍛錬と練習を積んでからの事です。
村の酒盛りの話し。
村の若い衆が、庄屋さまがいつも差し入れしてくれる酒で、酒盛りをしていたが、ある日はその差し入れが無かった。
仕方なく、みんなが家から少しずつ酒を持参して樽に集めてから呑むことになった。
樽に一杯になった酒で開宴になったところ、樽の酒は全て水。
「自分だけなら、水を持って行っても大丈夫」と、全員が水を持参したのです。
このお話は、会場がドッと湧くとともに、大変貴重な内容だと思いました。
まだまだ他にも「なーるほど」思うお話がいっぱい有りましたが、全部が記録出来ませんでした。
これまでは余り親近感の無かった、岡田監督でしたが、これからは新聞、テレビで注目しようと思います。
友人があんびしゃす という「被災者支援ボランティアグループ」と知り合って、いろいろとお手伝いをしていました。
それで判った事ですが、現地では、支援物資が足りて居るところと不足しているところの格差が大変大きいそうです。
僕は、被災地では住まいや、仕事の解決はまだまだでは有ろうとも、物資はもうみんなに行き渡ったと思っていましたが、被災者が広範囲に居られることで、まだまだ不足している地域がたくさん有るそうです。
現地では、食料、日用品はもちろん、衣類、防寒具、毛布、湯たんぽ、ポリタンクなど、如何なる物でも不足のようなのです。
そこで「あんびしゃす」からいろいろな品々の提供の依頼が届きました。
先週、僕が友人に呼び掛けたところ、何人もの人がいろいろな物を提供してくれました。
みなさんありがとうございました。
ひき取りに行ったり、届けて頂いたりして、種類も数量もそうとうな「かさ」になったので、24日と26日に分けて、集積所に運ぶことになりました。
なお、第2回目は2月中頃にまた届ける予定でしたが、動いてくれる人の都合がつかず、次回はだいぶん先になりそうとのことです。
「寒施行」 先日、こんな言葉を知りました。
餌が乏しくなる寒中に、キツネやタヌキなどの野獣に食べるものを施す年中行事だそうで、京阪神を中心に中国地方の習慣とか。
夜間、キツネの好物とされる油揚げのほか、小豆飯、握り飯、豆腐などを、野、田畑、稲荷の祠などに置くと、動物が喜んで持ち帰るのです。
現在では、農家の様子が変わって、寒施行はやりにくいかもしれませんが、何とも優しい、のどかな習慣では有りませんか。
また、こんな言葉も有りました。
「柿の実の、上の方のは鳥のため、下の方のは旅人の為、中程は自分たちの為に」
日本人の、こんなに柔らかい心がいつまでも続きますように。
小学校時代からの同級生が、きままに集まって食事をする「ふろく会」は、現在10名。
もう45年もの間、年に2回から5回の例会を続けて来たので、実に心おきなく語れる仲間ばかりです。
いつも誰かが欠席なのに、今回は珍しく全員が出席で賑やかな宴席になりました。
全員が66歳と言うのに、肉、肉、肉のオンパレードでした。(ちょっと高かった)
山芋とカルビの前菜、ローストビーフ、肉の唐揚げ、生ハムのメロン巻き、ステーキ200グラム、頬肉のシチュー、デザート。
これらのそれぞれの量がまた多くて、みんなが「ふうーー」
肉大好きの僕も、どれもがメインディッシュのように重いのが次々に出てきたので、皆と共に「持ち帰りまーーーす」
大病をした者も3人居るし、糖尿病も。奥さんを亡くした人も一人。僕は心臓にステントが。
でも、みんな元気に楽しみました。
次回は、4月に開催と決めて解散。
同志社ハーディークラブの会員に登録しているので、同志社で行われるいろいろなイベントの案内が、毎月届きます。
今日のESPERANZAのコンサートもそのうちのひとつでした。
丁度空いた日だし、トーク混じりでいろいろな話しも聴けると言うことなので、雨の中バイクで出かけました。
実際、そんなに期待しては居なかったけど、オープンのトークから、演奏に入ると「おおっー」という感じ。
一時間半の間、フルートとオカリナで10曲ほどを演奏して、その合間合間にいろいろな話しをしてくれました。
その間、パートナー(御主人)のベースはずっと、大きく小さく弾き続けたままで、フルートの伴奏をして、トークの時にはBGMで盛り上げます。
クローム病という難病と闘いながらの演奏活動を、沈んだ内容ではなく「希望に迎う」話しにするところは、しっかり惹きつけられた今日のコンサートは「大もうけ」でした。