例年の節分は、壬生寺へは必ずお参りします。
そして、吉田神社か八坂神社へも廻ります。
今年の八坂神社の節分は、舞妓さん達の舞いの奉納が有るとの事でその時間に合わせてお参りしました。
そしたらまあ、何と凄い人出で舞殿には近寄ることも出来ず。
8人の舞妓さんの、髪だけを見せて貰って「祗園小唄」のお囃子を聴くだけ。
お参りして、お供物を頂いて早々に壬生寺さんへ移動です。
包絡「安全祈願」「健康祈願」「寛次.悦子」と書き込んで奉納してきました。
これが、壬生狂言の「包絡割り」で、豪快に割られます。
壬生さんの入り口の「元祗園さん」も、賑やかにお神楽を披露していました。
帰宅したら、歳の数だけ福豆を。とうとう、80個も食べる事になりました。
八幡山では、毎年の「事始め」の日に行司さん(その年のお祭りを取り仕切る人)の
引き継ぎが行われます。
今年も12月13日に、令和5年の主行司さんから、令和6年の主行司さんへ
行司備品の一切が引き渡されました。
行司さん10数人は、主行司さんを中心にして、様々なお祭りの諸事万端を執り行います。
先ずは、12月30日の「注連縄交換」と、1月1日10時からの「新年拝賀式」の準備です。
みなさん、ご苦労様です。よろしくお願い致します。
祇園祭の前祭の鉾が組み始められました。
鉾が組み上がるまでは、町会所の二階でお囃子の稽古です。
長刀鉾の骨組み 放下鉾の二階囃子
函谷鉾町 霰天神山町 木乃婦さんの玄関
今年も、大船鉾さんの二階囃子を訪問
笛方 鉦方
小雨の中、放下鉾の曳き初め。この日だけは、一般の人が曳く事が出来ます。
300メートル程曳いて、うちの前まで来てから、折り返してゆきます。
いよいよ鉾が建って、曳き初めを済ませたら「埒」らちで囲って宵山囃子です。
菊水鉾さんは、大変力が入っています。
15日16日の夜は、烏丸通がホコテンに。人も店もいっぱいです。
人に流されて帰れなくなりそうなので、途中で引き返しました。
我が家は毎年元旦から、あちらこちらへ新年のお詣りに行きますが、いつも節分で全て完了です。
今年は一日早いお詣りで、まずは壬生寺から。
コロナの為にお休みしていた「壬生狂言」も、再開されています。
壬生さんからは、市バスで直行30分で吉田神社へ行けます。(敬老乗車証が嬉しい)
「節分と言えば吉田さん」壬生さんとは全然比べものにならないくらいの賑わいです。
屋台のお店も、壬生さんの何十倍も有ります。
帰途もまた、有り難い敬老乗車証で市バスでした。
今回の三上山初挑戦のあと、御上神社へもお参りしました。
それで初めて判ったのですが、三上山そのものが御上神社の御神体となっているそうです。
2200年の歴史を持ち、天照大神のお孫さんを祀るという、凄い由緒の有る神社です。
拝殿は重文 楼門も重文 本殿は国宝指定
左が男山、右が女山
「大嘗祭」に献上する供納米は、ここから献上されるらしい。
「三上山に登られる方は、当神社の駐車場に車を停めて下さい」
なるほど、その意味が判りました。
二礼二拍手一礼。
新年のお参りの仕上げは、節分詣りです。
ちょっと早めに出られたので、欲張ってたくさん廻りました。
先ずは北野神社へ。「節分詣り」の幟が有るものの人は疎ら。
やはり、京都の節分は吉田さんと壬生さんなのですかねえ。
受験願掛けらしい人達だけが目立ちました。
我が家の孫も、大学受験で大変な時です。みなさんどうか希望の学校に行けますように。
ほんの数本だけ、早咲きの梅が。
梅林へ入る予定が、思いがけない開花遅れで、数本の梅だけを見て中には入りませんでした。
市バスに乗って吉田神社へ移動。やはりお札流しは満杯です。
吉田神社は、いつものように大勢の人で、参拝待ちの行列が。
またまた市バスに乗って、壬生寺へ。そろそろ日が暮れてきました。
壬生寺道では、いつもの「きんつば屋さん」が、手際良くきんつばを焼いて居ます。
壬生寺道は、嵐電の踏切を越えて行きます。
市バス地下鉄の敬老パスは、ホントに有り難いです。
年間3000円で乗り放題。
でもこれもとうとう6000円から9000円に値上げとは!
赤字続きの京都市、仕方無いか。
こうして、今年も元気に節分詣りが出来ました。