
来年の「ビワマス釣り」の許可証が送られてきました。
今回は、700人限定とかで許可が貰えるか心配でしたが先ずは一安心。
でも、これだけではダメです。ビワマスを釣らなくては。
まだ、自分単独では釣れた事が無いので何とか初釣りを実現しなくては。

実際に日本近辺の海の安全を守ってきた潜水艦「あさしお」が、任務を終えて呉港に展示されました。
深海探査艇「しんかい」もすぐ傍に。

艦内は、今も航行時そのまま保管されています。ここは司令室。

メイン操船室には、映画でよく見る「潜望鏡」の本物が2基。
クルトユルゲンスと、ロバートミツチャムが、潜水艦と駆逐艦との行き詰まる海戦を描いた映画「眼下の敵」を思い
出して、どきどきします。

呼び名のとおり「鉄のくじら」そのままです。模型とは全然迫力が違います。


何とかして、一度は行きたかった「戦艦大和ミュージアム」に、やっと行くことが出来ました。
100年以上前から、日本有数の造船の街「呉」は、今でもそれを誇るようなクレーンの柱。
「船艦陸奥」の、凄いプロペラが迎えてくれます。

館内はメインの「大和の模型」を中心に、「大和」の設計、建造、進水そして撃沈までが詳細に紹介されています。
それに加えて、2000人の乗員の中から極わずかに生還者された人の生々しい体験も聞けます。
日本が、あらん限りの技術を用いて造船した数々の船艦の記録と共に、戦争の悲惨さを強く訴えかけてくれます。
ポカポカと暖かい今日、VIVAPARAの船底塗装剥がしを手伝いました。
作業前のVIVAPARA

マスキングテープと、乾燥止めのナイロンを使って、古い塗料にシンナーを浸み込ませます。
その後、ひたすらゴシゴシ。
BSCA会議が始まる15時まで頑張りましたが、出来たのは全体の2割くらいかなあ。
帰りに、ホテルオークラの前を通ったら、こんなイルミネーションが!!!
築33年の我が家のトタン屋根は、2年に一度くらいでペンキ塗りをしています。
先月にヘラで掻き落としをしておいたので、今日はペンキ塗り。

安全な右側は家内が、危険な左側が僕が。色を間違って買ったので、右と左は染め分けです。

やはりペンキ不足で、塗り残しが。それに陽も暮れてしまい、今日はここまで。
左は、西から撮影。右は東から。
昨夕は、暗くてよく判らなかったが、意外と綺麗になってました。良かった。
あとは、ペンキを買い足してから残りの塗装です。

最近は、気温が下がったためか雑草が少なくて助かった。
にんにく、ジャガイモ、里芋、どれも元気が無さそうで、いつになったら収穫出来るのか?

沢山の収穫をもたらした「茄子」が終わったので、空いた処へ玉葱を植えました。
しっかり水を撒いておいたから、根付いてくれるはずです。
17日は、ミドルボートクラブレースの2013年の最終戦。
mugenは、久々にコーチを迎えて、8人乗船での参戦。
早朝からファイティングフラッグを揚げて意気の上がる
「Tracer」「mugen」「more&moreⅡ」

11時のスタート時は超微風。それからは少しずつ風が上がって、艇はよく走ります。

この日のmugenは、残念ながら6位で、年間成績も3位に留まりました。
この日最悪の成績だったmore&moreⅡさんが、これまでの貯金が利いて、見事に年間優勝。
これは絶賛に値します。
mugenは、また来年に期待を込めて。
16日は、ヤンマーのレースに「D&Dさん」の応援に駆けつけました。
オーナーさんに、mugenから7人、湖族の末裔さん、ZEROさん、YvetteⅡさんから一人ずつ加わって
11人。快適な風に恵まれて、D&Dは快走しました。

9時30分の艇長会議のあと、11時にレーススタート。
なんと、D&Dは、並み居る強豪を全て後ろにしてトップを走っています。

11人が力を合わせて、頑張りました。
レースを終えたら、とも子さんからオードブルの差し入れが!!

見事に優勝。オーナーに優勝カップが。助っ人の5人。

この11人で勝ち取った優勝です。今日の成績表。

ヤンマーマリーナに、新しくオープンした結婚式の教会。今日も、二組のウエディングが・・。
「稗田野神社」は、亀岡市の町から湯ノ花温泉に抜ける道筋に鎮座します。
女性を護る神様と言う事で、多くの女性に信仰されています。

拝殿には、友人「紫舟さん」の書になる「祝御遷宮」の幟がはためいていました。
こんなに小さな神社に似つかわない、大鳥居や八角石灯籠を擁して氏子の人達も多く居られるようです。
時間が空いた土曜日、廬山寺へ出かけました。
1000年以上も前に開かれた廬山寺は、数々の変遷を経ています。
信長の焼き討ちを、正親町天皇の勅命で辛うじて免れたので、現存できているとか。

本堂から見る庭の、雲型の苔は、縦になっています。

勅使が右の黒い門から入ってきたときに、綺麗な横向きに見えるようにとの計らいです。
これが「勅使門」の入り口。

この地は、長く紫式部が住まいした場所と言う事で、昭和40年に建てられた「紫式部顕彰石碑」
こんな旧跡が、車で数分の処に有るのは嬉しい限りです。
お庭以外は撮影禁止だったので、興味深い建具、ふすま絵、屏風は紹介できません。