2週間以上早い梅雨明けの29日、SOME DAYさんのヨット教室のお手伝いに出ました。
オーナーさんの娘さんとその友人が、近日に葉山マリーナでヨット指導を受けると言うのでその予行演習です。
でも、ちょっと強めの風が吹き続けるのでセールをリーフして練習しました。でもまあ、良く走る事。
おかげで、彼女達は舵もシート捌きもしっかり出来るようになったので良かった。良かった。
いつも水曜日にセーリングの「KAZU」さんもリーフして居ます。
LWYCに帰港すると、HAWK WINDさんとCHCさんの艇が繋いで有りました。
ビワマス最終日の30日にも頑張るようです。
皆さんは、夜明けと共に出港されるようですが、僕は早いのは苦手。
七時三十分の出港がめいっぱいです。
今期のビワマス釣りは6月30日まで。
12月1日の解禁までお休みです。
そこで、28日にyycさんに乗ってラストビワマスに行ってきました。
例によって、ベテランヨットマンに、朝食も、昼食もコーヒーもお世話して貰って贅沢な事です。
火曜日なので、何処のマリーナもお休みの筈なのに、皆さんがんばって出てきています。
この小さなヨット、ずっとセーリングしながら何時間も航行して居ました。
でもでも、釣果は奮わず、僕ともう一人共にビワマスはひとつずつ。
僕は他にウグイを二つ揚げたけど、寂しいラストトローリングでした。
例年は、5月、6月は規定の5匹いっぱい持って帰っているのに!
今年はみなさん不調のままに終わりそうです。
7月になったら、この半年の釣果の記録を、水産庁に提出してまた次の解禁を待ちます。
数年前、町内の防災委員になっ以来ずっと、月に一度の防災会議に出席しています。
毎回20人くらいの参加で、大災害が起こったときの対処を相談しています。
我々の明倫地区は3000人程の住人が居り、災害で自宅にいられなくなったら
「元明倫小学校」(現芸術センター)に避難する事になっていますが、収容人員は700人。
マンションの人達は、自宅にいられるだろうとの想定ですから、人数は何とかなるものの、
備蓄非常品の費用、保管場所、管理人の問題が大きいです。
行政は「大災害の時は、3日間だけは自力で乗りきって貰いたい。その後は何らかの支援を始めます」
と言っているらしいので、それに沿った対策を検討してまいます。
何も知らなかったものの、こうして防災に首を突っ込んでみると、なるほどと思う事と、そんな事でどうするんやと
思う事が多々有ります。
700人を収容するとは言え、発電機が1機。照明が1機。備蓄食料は100人分くらい。
諸々の災害用品は、置き場が無いので京都市に預けたまま。
あまりに心許ないので、我が町内だけは僕が強力に推し進めて、ペットボトルの水を300本備蓄しました。
これで、いざと言う時は町内の人に一家に1本ずつは渡せます。
しかし、こんなくらいではとても準備とは言えないので、もっと進めてゆかないと。
mugenから「明日は一人でビワマスに行きます。一緒にどうですか?」
六時集合が苦手なので、頼むから遅らせてと言って、七時三十分の出港にして貰いました。
今日も穏やかな湖面で、曇り空なので最高の条件のもとで、9時過ぎから開始です。
mugenの艇速は、スローでも4knot出てしまうので、バケツを二個曳いて2knotから2.2knotくらいまで落とします。
先ずN君に40センチが。続いて僕には45センチ。
それから三時三十分の納竿までに僕が五匹確保。(ウグイをひとつ含む)
N君は八匹以上揚げましたが、30センチ以下をリリースして、やはり五匹をゲット。
久しぶりにN君ともゆっくりとヨット談義をしながら、鈴の鳴るのを待ちます。
よく揚がっているので余裕の「待ち」です。
近辺には、HAWK WINDさんとハッスル Kさんが、やはり流してました。
エールを交換して、スライドしてゆきました。いずれもヨットレースの猛者、ライバルです。
満足の釣果で、涼風を受けながらの帰途、琵琶湖大橋をくぐります。
やはり七時三十分出港のようです。御健闘を。