祇園祭が無事に終えられて、お疲れ様の会が有りました。
山鉾町から、重鎮の全てが出席でとても賑やかです。
トラプルは何事も無かったので、皆さん安堵の様子です。
舞妓さんは「ほたる」を、芸妓さんは「岸の柳」を舞ってくれてから、宴席を回って接待してくれました。
写すのを忘れるくらいに、いろいろと美味しい料理の連続です。
最後の美味しい鱧飯とデザートだけは、やっと写しました。
今年は、八幡山の重い役を仰せつかったので、7月2日には京都市役所で巡行順序の籤を引かせて貰い、24日の巡行では、その籤を市長さんに改めて貰う儀式「籤改め」を、高1の孫「萬木我空」(がく)がさせて貰いました。
我空は、学校とサッカーで自由な時間がなかなか無くて、練習時間が有りません。
少ない時間を使って、先ずは室内で細かな所作を練習。
それから、ガレージに出て実際の距離を測りながらの練習。
宵山の11時過ぎに、八幡山の前で実地練習してたら、大勢の人に見られて、度胸がつきました。
さあいよいよ巡行当日、八幡山の人達全員や大勢の観衆の前で「籤改め」です。
奉行に仕立てた、京都市長さんに、巡行の順序を書いた籤を改めて貰うのです。
それが終わると、八幡山の扇子で、大きくお山を招きます。
招かれたお山は「おーーっ」と声がけして、市長の前まで進んでから一回り回って披露します。
大役を無事に終えた我空は、父や兄とのショットにも微笑みが。
巡行を無事に終えて、八幡山に戻って、皆さんに拍手で迎えられます。
翌日の新聞には、我空が大きく掲載されました。
今年の八幡山の神事を取り仕切る神事係のメイン「主行司」を仰せつかったので、例年以上の責任を感じながら
いよいよ巡行の日を迎えました。
宵山の連日、呑み続けていたので少々の心配が有ったものの何とか当日になりました。
24日の早朝から、八幡山の本飾り。そして、いよいよ巡行出発です。
町内のみなさんに見送られて北へ。
巡行中の八幡山
爺ちゃん、息子、孫二人での巡行は、もう二度と実現しないでしょう。
御旅所での参拝。これが全てです。
4時間以上の巡行を終えて、町内へ戻ると、多くの人からの拍手。
町会所に納める前に、最後の力を振り絞ってお山回し。
何のトラブルも無く、無事に務まりました。
巡行後、昨年から八幡山の3D撮影や計測をして頂いているチームが、猛暑の中一時間をかけて
記録してくれています。
主な行事を終えて、ホッとしている我が家の玄関。
八幡山の正面に取り付けられる鶴金具の足が1本足りない事が、昨年の秋に判明。
いろいろ過去の写真を調べたところ、30年40年前には既に無かったようで、京都市などに援助を申請して、この春やっと「足1本」が出来上がってきました。
修理では無く新調なので、職人さんが「こんな形と色で有っただろう」と、思い巡ってタタキあげてくれました。
文化財の専門家にも確認に来て頂いて、みんなが喜びました。
この鶴金具は7個有り、天保8年(1836)の製作ですが、材質も技術も現在と同じかそれ以上の良い仕事だとの事。
大事に次代へ送り次がなくては。
今年の巡行は数十年ぶりに、ちゃんと足の揃った鶴で出られます。