秋晴れの琵琶湖へ、老体4人がセーリングに出ました。
ヨットに不慣れな3人さんを乗せて、マリーナを出たら、余計な吹き上がり。
ジブのみの帆走にも関わらず、撮影する余裕が無いまま、昼食のヤマハマリーナへ入港。
ガラガラのマリーナは、桟橋に着け易かったので助かりました。
パスタランチに、飲物はフリーで1300円は嬉しいし、係留料も不要。
午後は、少し風が落ちたのでジブもメインもフルで帆走。
しかし30分もしないうちに、キャンセルの方に白波が見えたので慌ててメインダウン。
それからは、マリーナに向かうまで、ずっと強い真のぼり。早めに降ろして良かった。
老体4人は、楽しいセーリングを終えて、無事に帰港しました。
たくさんの、ブルーベリーの木。
帰りには、和邇から山に入り込んだ処の「紀伊國屋」という、ブルーベリー畑へ。
ブルーベリーの製品がいっぱい売られて居て、レストランも有ります。
今日はたまたま木曜の定休日だっので、ブルーベレリージュースだけ頂きました。
ここからは、余り見たことの無いアングルからの琵琶湖が眺められました。
18歳から25歳まで、小泉財閥のうちのひとつ「丸十小泉東京支店」に勤務させて貰った身としては、是非とも行かなくてはと「近江商人博物館」へ出かけました。
館内には、小泉家の歴史や関係資料、縁の品々が数多く展示されていて、末永國紀先生から、講演と展示物解説が有りました。
明暦2年(1656)の小泉治兵衛さんから始まって、六代目の文政7年(1824)に、初代小泉重助さんが登場します。
やはり出身は「五個荘山本町」
数々の近江商人が、天秤を担いで諸国へ商いに出た本拠です。
小泉家は「百丸田」というところに田畑を持っていたが、他に比べてすこぶる土地が痩せていて、収穫が少なかった。
それが良かったのか、悪かったのか、農業を諦めて商売に移ったとのこと。
買い手良し、売り手良し、社会良し。これをモットーとして、地元では無く、全国に出て行った。
そして、京都や大阪に店舗を構えるようになっても、人材は故郷から呼ぶ。
五個荘の本家で、みっちり教育された後でやっとお店に出して貰える。
良い人材と、同郷の結束がますます営業成績を上げる。
努力していれば福が訪れるし、禄も上がる。そうすればみんな寿になる。
小泉家の「福禄寿」は、このように伝えられていた。
僕が勤めて居た頃は「四代目小泉重助さん」(1912--2002)の頃。
昭和43年に、交通事故で四十日も入院してたら、大阪から出張で上京された重助さんが病室まで見舞にきて下さり驚いた事が有ります。
大きな小泉系統の会社が何社も有り、それらのトップの人が23歳の若造の見舞いに来てくれるなんて。
小泉家は、そのような心が連綿と続いているのかもしれない。
亀岡祭の巡行を観に行きました。
宵山風景は過去に観たことが有るので、是非巡行を観たいと計画していました。
駅では、提灯がお迎え。 亀山城跡を見ながら旅籠町通りへ
籤改め所 沢山の来賓 市長さんがお出まし
籤取らずの鍬山が、市長さんの前で「鉾回し」
亀岡祭にも八幡山が。やはり、鳩があちらこちらに。
羽衣山は二人の天女と漁師が、市長さんに粽を献上。
高砂山は可愛い「尉と姥」が籤改め。見送りは昨年破れて修理中とか?
籤取らずのしんがり11番目は「鍬山」
鍬山の山回し
鍬山の屋根は、上がったり下がったりして、障害物を避けます。
時々、小雨が降る中でしたが、2時間の巡行を全て拝見出来ました。
身びいきながら、やはり、我々の祇園祭の方が何もかもビッグだなあ。
巡行の最後に、歴史行列。
本当は、これが主役では無いかと思う御神輿3基は、静かに遠慮がちに鍬山神社へ還って行きました。
駅に向かう途中では、巡行を終えた山がここにもここにも。
各山町では、記念撮影や解体の準備が進んで居ました。
懸装品を外して、屋根を1メートルほど下げてから、そのまま来年まで蔵で保管です。
この柱を立てると4輪よりもほんの少し高くなり、山がこれ一本で支えられて、容易に回転出来ます。
滋賀県の日野祭もこれでした。大津祭は3輪なので、前を持ち上げて回します。
祇園祭は、竹を敷いて横に曳くから大変です。
京都駅の大階段を使っての「京都女子大生のライブコンサート」へ出かけました。
少し遅れて行ったので、会場は満員。後の方の席へ。
ゆるキャラ 漫才も
ミスコンも有って、来月にはこの7人の中から「ミス京女」が誕生するとか。
22艇が参加する「マリーナ雄琴カップレース」で、ZEROさんに乗せて貰いました。
レース水域に向かい途中、ドンドンと風が上がり、mugenも跳び上がっていました。
11時に、22艇が一斉にスタート。
YvetteⅡさん mugen ZERO
YvetteⅡさん、この艇だけはいつも一人操船で参加。みごとなものです。
マリーナ雄琴の、よく計画された食事は人気です。
mugenが優勝。美女クルー二人も嬉しそうです。
ZEROは、この3人さんと僕の、4人で頑張りましたが、僕のミスで5番くらい遅れて、11位。
と言うことはビリ。でも、楽しむ事は出来ました。
初秋の北琵琶湖をヨットで廻ってきました。
朝の7時半頃までの豪雨が嘘のように止んで、晴れ渡った琵琶湖へ4艇が出港です。
10時30分に出港後、沖島で連なって昼食。
2時間で多景島。観光船が20人ほどのお客さんを降ろしていました。
南無妙法蓮華経を彫り込んだ岩に敬意を表してから、また北へ。
豊公荘でお風呂を貰い「村さ来」で宴会して、翌日の朝食と昼食を買って10時頃に艇内泊まり。
数年前までは、川鵜の大繁殖で島の北半分が丸坊主でしたが、見事に緑が戻っています。良かった。
良く晴れた朝、10時に長浜を出港して、一路竹生島へ。
平日とあって、観光船もまばらです。
竹生島から海津に向かう頃から、20から25knotの風が吹き始めて、ジブを思い切り巻いて、ハンカチみたい。
でもエンジンより速い、7knotも出しながら、フリーで今津に向かいました。
今津漁港には、予め4艇の係留を依頼してあるので一文字にズラっと並ばせて貰いました。
いつもお世話になる、今津漁協のみなさん。
街を散策してから、川魚料理の「西友さん」へ。
ひつまぶしは、とても美味しかったです。 艇に戻ったら、またまた宴会。
昨夜、長浜でO山さんから貰ったワイン2本は、すぐに空きました。
翌朝、今津のヨットマン御夫妻がお土産を届けてくれました。
穏やかすぎる湖上を2時間半クルージングして、白髭神社へ。
鳥居を前にして、4艇が思い思いの昼食です。
白髭さんに、琵琶湖での安全を祈願して帰途に着きました。
3日間、ヨット4艇で、8人が楽しませて頂いた琵琶湖、これからもよろしくお願いします。
下呂の朝は快晴 やはり、露天の朝風呂へ バイキングの食べ過ぎ
愉快リゾートのおもてなしは、なかなか行き届いていて、楽しませてくれます。
前夜の夕食も、美味しい物がいっぱい。思い切り食べたので、完全にウェイトオーバー。
下呂温泉街は、昨日のうちに探検済みなのですぐに出発して、高山市まで1時間。
昨年の旅行で入れなかった「高山陣屋」へ。
今はこんな門も、冬にはこんな様子に。 立派な車寄せ。
建物も庭も、飾り気の無い重厚な雰囲気が漂っています。
年貢米を入れる広くて天井の高い「蔵」は、12番まで有って当時の隆盛が判ります。
しかし、取り立てがずいぶん厳しかったそうで一揆が何度も起こったとのこと。
高山から、一気に郡上八幡へ。
郡上城は、ずいぶん高い処に 昔ながらの街並み
郡上博覧館では、いつでも「郡上踊り」が見られます。
全部で10曲有るそうで、とても楽しそうな踊りです。
ちょっと遅めの昼食は「手打ち蕎麦 まつい」で。1000円は、値打ちが有ります。
着物屋としては「郡上紬」にも触れておかないと・・。
素朴な普段着ながら、生産数が極端に減ってきたので、高級品になっています。
二日間で、670キロの走行。
久しぶりの長距離走行でしたが、60年来の友人との旅は、心が洗われました。