御室仁和寺の裏山で「四国霊場八十八ヶ所巡り」が出来ると、何十年も前から聞いて居ましたが
やっとお参り出来ました。
先ずは「ごっちんさん」(五智不動尊)にお参りしてから仁和寺境内へ。
三門をくぐって仁和寺境内に入ります。
4月には「御室の桜」として、大勢が楽しむ八重桜は、着々と開花の準備をしています。
仁和寺の裏門を出ると、霊場巡りの一番「霊山寺」で先ず、最初の10円を。
大小2体の、弘法大師様が出迎えてくれます。
山歩きをしながら、このようなお堂を順番にお参りします。
しかし、いくつかのお堂は見るも無残な荒れ放題に。何とかならないものかなあ。
石段が整備されていて、土や岩の上を歩くことは少ないから助かります。
標高は236メートルですが、何度もアップダウンが有るので結構歩き応えがあります。
三十七番「岩本寺」の天井絵と欄間の龍。こんなに立派なのはここだけ。
このお堂を時計廻りに三回巡ると、いつまでも元気でポックリ逝けるとの事。
今日の5人はみんな70歳越ですから、ちゃんと三回廻りました。
昼食タイムは景色の良い処で 愛宕山 原谷
お山で唯一の「鎖場」 足下の岩を気にしながら、鎖を頼りに登ります。
このお山「成就山」の最高地点のお堂。京都市内が綺麗に見えます。
六十七番「大興寺」は、広い敷地にお堂が何棟建ち、修業瀧も有ります。
池の中に建つ「浮見堂」を過ぎると満願「八十八番」「大窪寺」です。
本物の四国八十八ヶ所巡りは、何日も掛かりますがここでは、四時間で全てお参り出来ました。
良かった。良かった。
吉田神社からは、いつものように「敬老乗車証」で市バスに乗れば三十分で行けます。
やはりここも屋台が一切無いので、狭い壬生寺道もスイスイで本堂へ。
壬生寺では無くてはならぬ「壬生狂言」なのに、今年はコロナの為に中止で実に寂しい事です。
境内では、狂言の入場待ちに屋台を覗く人が大勢なのに・・・。
は、願いを込めて奉納して、それを狂言の中で割るのですが、今年はどうするのかなあ。
コロナの収束を祈念して奉納しました。
壬生寺道の「きんつば屋さん」は、例年通り大賑わいでした。
壬生寺道の入り口の「元祇園さん」でも、例年通りのお飾りをしてお神楽も舞われていました。
例年通りの事が出来る様に早く戻りたいです。
我が家の節分は例年、吉田神社か壬生寺へお参りします。
今年は明るいうちから行ける事になったので、両方へお参りする事にしました。
吉田神社へのお参りは、この正門前を必ず通ります。
初代総長の「木下広次さん」 七代目総長の「荒木寅次郎さん」
ちなみに現総長は二十七代目の「湊長博さん」
昨年までは、孫がここにお世話になるとは思いもしなかったのですが、今年は一応御挨拶をしておかなくては。
祖父ちゃんとして。(トイレも借りました)
吉田さんの鳥居の向こうに、いつも登る大文字山の火床が見えます。
屋台がひとつも出て無いし、人も少ないのでスイスイと本殿まで行けました。
福豆の抽選会は行われるようで、沢山の景品が並んで居ます。
綺麗な道を十五分 東に大文字山 西に愛宕山
いつもは暗くなってからのお参りなので神社の裏山「吉田山」へは行けて無いので登ってみました。
京大の前身「三校」(旧制第三高等学校)の寮歌碑が有ります。
かつてはこの丘に、バンカラ学生が集まって激論を戦わせて居たそうな。
吉田山を東に抜けると、鳥居の列が。
鳥居から西に下ると「元本宮さん」
境内には、日本中から集められた六十八もの神様が祀られて居ます。
六十八の全てに手を合わせる人も見えます。
元本宮さんには伊勢の「外宮」「内宮」も祀られてあります。
「山陰神社」は料理の神様だとかで、名の知れた料亭や食材のお店から沢山のお供えが。
コロナの第三波が猛威を奮って居るので、気にしながら恒例の「えべっさん」にお参りしてきました。
密を避けて行った9日の昼頃は、空いて居てホッ。
神社の備えは例年のごとく賑やかでした。
本殿までスーッと行けました。やはり、大きなマグロが供えられています。
福笹の授与も、いつも通りですが、何と3500円。
そのままでは、縁起物が2個しか付いて無いので福娘に付け足して貰うと
すぐに万を超えますから、我が家では10年くらい前から「笹無し」です。
帰りは、これも恒例の「珉珉」のギヨーザを食べて。
これで、我が家の年末年始のイベントは、節分詣りだけとなりました。
来年こそは、賑やかにお参りをしたいものです。
西国三十三ヵ所札所巡りの最終は、岐阜の谷汲山「華厳寺」です。
三十三ヵ所は、四十二歳と六十歳の時に、全てお参りしたので三回目の訪問です。
土日と休日は車が通れない長い参道も、今日はスイスイと三門まで行けます。
駐車場からは、緑が綺麗な参道に変わります。
本堂が見えて来ました。
笈摺堂 満願堂
本堂の他にこの二つのお堂をお参りして初めて満願となります。
門前真ん前のお蕎麦屋さん「富岡屋」で昼食です。
丼の底には「満願成就」の文字が。
これからも、弘法大師さまと「同行二人」
今年から女子大生になった孫娘の学生寮の屋上から「送り火」が観られるとの事で
ファミリーが7人揃ってお邪魔に行きました。
8時丁度に「大文字」が点きました。
大文字は、七十五の火床で、100束の麦わらと600束の薪を燃やします。
麓の町の52所帯が、毎年火床の受け持ちを替わりながら担当して火をつけます。
それから、5分おきに次々に点火されます。
妙は、火床が103で法は63.薪を332束と、松葉を166束燃やします。
妙は、松ヶ崎の住人が火床を担当。法は「松ヶ崎大黒天」の檀家さんの担当です。
二つで82戸の人達が奉仕してくれています。
船形 左大文字
船形は火床が79,薪は400束、松葉を130束燃やします。
左大文字は、火床が53で、薪が400束です。
最後に点火の「鳥居形」だけは、残念ながら全く見えず。
ここはとても低い処なのです。
火床は108,薪も108束で、40戸程の人々が奉仕されています。
でも、これだけ沢山が見える場所に来たのは久しぶりです。
「あOOちゃん」ありがとう。
この日に向けて、火床まで沢山の薪や松葉や藁束を運び上げて
当日は火床のお守りをされる、民衆の大きな奉仕で支えられています。
我々が後生に伝えようとしている祇園祭も大文字送り火も、陰では大きな力が働いています。
例年、17日の前祭り巡行の翌日に、八幡山では吉符入りの神事が行われます。
開会を待つ、長老の方々。
今年のお祭りも滞り無く行えるように、全員で神前に拝礼してから御神酒を頂きます。
今年のお祭りの全てを取り仕切る主行司さんから、今年のお祭りについての説明があります。
みなさん、真剣な眼差しです。
午後からは大工方によって、八幡山の組み立てが始まります。
20日には、組み上がったお山を皆で試し曳き。
町内の人や観光客も一緒に、お山を曳いて町内を往復しました。
21日には、土蔵から全ての懸装品を出して、町会所に展示します。
そして、21.22.23日の宵山で、多くの皆さんに八幡山を観てもらって
粽や鳩笛鳩鈴をお授けした後、24日は八幡山に第一番の飾り付けをして巡行に参加します。
台風5号が近づいて居るけど、大事無く過ぎてくれますように。
いよいよ今年も、祇園祭が始まります。
七月一日の「お千度」が行われて、明けて二日は、京都市会議場で「鬮取り式」です。
今年は、一般見学者に混じって高見の見物をさせて貰いました。
十時の開式前に、京都市長を始め、八坂神社、清々講社、山鉾連合会のお偉方が壇上に。
清々講社挨拶。 市長が正面に立ちました 各組毎に鬮が作られます
鬮を引いた山鉾の代表は、先ず市長に見せて、その後会場に披露します。
全部が引き終えたら、市長から鬮札を受け取って、また皆さんに見せます。
前祭りは全23基の山鉾が有りますが、十七日の巡行で鬮取らずとして、長年の間順序が決まっている鉾が6基有りま
す。それらを除いた17基が鬮を引きます。
後祭りは、全11基の内5基が鬮取らず。6基だけが鬮を引きます。
数年後の巡行実現を目指して再建中の「鷹山」の理事長は、今年から「唐櫃巡行」をしますとの挨拶を。
前祭は十日から鉾建てして、十七日に巡行。後祭りは、十八日に鉾建てして、二十四日に巡行。
いよいよ、準備に力が入ります。
今年は各山鉾町から、二十五人の人が永年功労表彰を受けられました。
八幡山からも1人功労者が有りました。おかげさまで、僕も十年ほど前に受けました。
京都市庁舎大改装計画の為、来年はこの会場は使えないと言う事で、皆さん名残を惜しみながらの退場です。