護王神社の亥子祭
平安時代頃から御所では、旧暦十月亥月亥日に無病息災を祈念して搗かれたお餅は「亥子餅」と言って
珍重されました。
その儀式を、護王神社では現在も、十一月一日に続けて居られます。
5時からの神事は人数限定なので、4時に行って先ずは申し込み。
お供えをしてからデンチと提灯とお下がりを頂いて待機します。
神事のお手伝いをする女性が現れました。ここでは「奉仕女房」と呼ばれています。
五時から本殿で拝礼が始まりましたが、我々からはよく見えないので、大スクリーンに写されています。
その後拝殿で、5人の女房が紹介されて、神官が座してから、臼、杵、三種の粉(黒の胡麻、赤の小豆、白
の栗)竹の水筒2本、四種の草(銀杏、野菊、紅葉、軒しのぶ)を、実にゆっくりと運んで、式司の前に並
べます。
その間、式司と神官は「神奈月時雨のあめのあしごとに我がおもふことかなへつくつく」と朗詠します。
5人の女房が2回ずつ往復して、30分ほど掛けて全ての物が揃い、いよいよ亥子餅が搗かれます。
こうして三臼搗かれるのですが、その間は男神官は「いのちつくつかさ」女房は「いのちつくさいわい」
と唱和し続けます。
搗き上がった餅は、本殿に備えられ、もう一つは唐櫃に納められて、御所へ行く支度となります。
預かっていた提灯の灯を、巫女さんから貰って、50人ほどの「調貢列」の後に付いて御所に向かいます。
提灯行列は150人くらいでしたね。
蛤御門から入って、真っ暗な御所の砂利道を15分ほど歩いて「清所門」に。
ここから先は、調貢列の人達だけしか入れず、我々は門の外から献上の様子を遠目に見るだけ。
無事に御所へ「亥子餅」献上を終えて護王神社に帰ると沢山の灯りが点いていて、境内に入ると全員にお
でんが振る舞われて、暖まりました。
これからは大きな臼でお餅つき。ここで搗かれた亥子餅はみんなに配られます。
家からすぐ近くで、こんなに厳かな神事が行われていたのに、この歳になって初めて参列出来ました。
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