アーカイブ: 2023年8月

御神輿の渡御と八幡山慰労会

7月24日の「後祭巡行」で浄められた京都の街を、大きな三基の御神輿が市内を練ります。

御神輿の先触れ

そして、夜になると「三若」「四若」「錦」の御神輿が三条通を八坂神社に還って行きます。

ひとつの神輿に、400人から500人が着いています。

こうして、八坂神社に御神輿が収まられたら、長い祇園祭も終盤になります。

翌日の八幡山では、朝から25人ほど人が集まって、お山を土蔵や収蔵庫に収納します。

そしてその夜は、町内の人達が大勢集まって「足洗い慰労会」です。

  

元理事長       前理事長      現理事長

みなさん、猛暑の中長期間にわたりお疲れ様でした。

 

今年の行司さん達。多くの諸事万端をありがとうございました。

全員揃って記念撮影

めったに着ないからパチリ。


家島諸島クルージング

10年前に瀬戸内海クルージングで、牛窓に連れて行ってもらったヨット「那由他」さんから

「久し振りに、瀬戸内海に来ませんか」とのお誘いを受けたので友人達4人で出掛けました。

  ヨットよりボートの方が多いです

網干ボートパークは、姫路駅から30キロくらい。

  

HR-31は、実にしっかりした造りで安心そのものです。

勿論、オーナーさんのこまめなメンテナンスが有っての事ですが。

船令10数年にもなりますが、実に綺麗です。

強烈な日差しでは有るが、適当な風が吹いてくれたので涼しいセーリングです。

鞍掛島の傍で、アンカリングして昼食。

美味しいソーセージ、カレーナン、ドイツビールがふんだんに。

ヨットの艤装から、飲食物まで全ての準備をして迎えてくれたオーナーさんに感謝するばかりです。

爺さんばかりでは有りますが、やはり暑い時は浸かるに限ります。

水深40メートルでの水浴びを楽しみました。

  青井荘の前は海水浴場

夕方には家島諸島の「男鹿島」に有る青井荘の桟橋に着岸。

ここには、もう10回以上来ています。

とにかくここは、魚料理が凄い。

ヒラメ     ガシラ?の煮付け      生蛸

ソーメン      ?の南蛮漬け     サザエの壺焼き

 6年前にkeepした焼酎が!

ヒラメの唐揚げ   まだ有りました。味も変わらず

唐揚げと蛸飯は食べきれず、翌日の昼食に貰って帰りました。

よく飲んでよく食べた5人は、8時から朝食してゆっくりと9時30分の出港。

良い風が吹いて居るのでセーリングで、家島諸島を一周する事になりました。

速いペースで家島本島、西島、坊勢島、男鹿島、太島、鞍掛島を廻ってから帰港です。

姫路港には塩の山が   網干の浮標

那由他さん、二日間のクルージング大変ありがとうございました。

こんなに変わったボートの保管装置が有りました。

船底が汚れなくて良いけど、これはこれでいろいろと手間が掛かるのだろうなあと思われます。


水泳場の藻を退治

滋賀に住む友人の家の傍に有る水泳場には、毎年大量の「藻」が漂着します。

友人は、7.8年前から一人で黙々と浜で「藻の掃除」をしてました。

それを見て居た人達が、一人、二人とお手伝いをしてくれるようになり大変喜んで居ます。

それまでの助っ人は、僕ともう一人の友人だけだったので、フウフウ言ってました。

  

朝8時に行くと、地元人達が数日間を掛けて陸揚げされた「藻の山」

水中にもビッシリです

 

15人程の人達が、大汗かきながら藻と奮闘して、4時間後、浜はこんなに綺麗になりました。

湖面の藻は、「藻刈り船」が回収してくれます。

綺麗になった浜を楽しみながら、みんな元気に帰途に就きました。

残念な余談です。

これまでの経験から、こうして綺麗になった浜には、数日後にまたまた同じくらいの藻が流れ着くのです。

ホントのイタチごっことはこの事。

またまた大きな労力が必要になります。


孫達と琵琶湖へ

6日の日曜日、じいさんとばあさんは、孫4人をつれて琵琶湖クルージングです。

彼らが幼い頃やったと同じように、琵琶湖に入ってプカプカ。

 

7人の孫を誘ったけど、残念ながら3人は都合がつかず、4人だけの参加です。

  

ブイのロープを調整する僕

26歳から19歳までとなると、みんなもう一人前で、忙しい事は良いことだと喜んでいます。

 ソーメンのつゆを有り難う

spirit of yyc   mugen

知り合いのヨットが、次々に通過してゆきます。

mugenから貰った「ソーメンつゆ」です

弁当を食べてから、ソーメンで仕上げです。

さあ、マリーナ雄琴へ帰ろうか。

MATSUSYOUのオーナー、ありがとう。

 

 

 

 


対馬丸記念館

先日の「座間味ヨットレース」のあと、沖縄観光をしましたが

その折りにどうしても寄りたかった所が有りました。

それで、同行の人達に無理を言って行程に入れて貰いました。

  

「対馬丸記念館」には、実に悲惨な事故というか、事件の全貌が記録されています。

 

しかし、この悲劇は長く伏せられていて、公表されたのは数十年後です。

そして、2004年にやっと「対馬丸記念館」が会館して、公に事件の事を知ることになります。

  モノレールで行きました。

1944年の8月、戦況が悪化した日本軍は、沖縄への米軍上陸を予想して

沖縄の婦女子を日本本土へ疎開させる事にして、1800人程を「対馬丸」乗せて出港。

しかし出港して一日後、米軍の魚雷を受けて沈没。

1500人が亡くなった悲劇です。

疎開船ですから、学童が784名も居たので尚更大きな悲劇となりました。

 

その後米軍が、沖縄に上陸してまたまた大きな悲劇が起こりますが、この「対馬丸事件」は

日本軍の士気低下を考慮して、遺族も生存者も一切口外ならぬとされたので、大勢の人の死が

語られないままに数十年経過したのです。

ウクライナでは、また新たな悲劇が現在進行系で続いて居ますが、何とかならないのでしょうかねえ。


八幡山の巡行

24日は6時50分から「八幡山の巡行飾り」です。

みんな、お揃いのポロシャツを着て飾り付け。

 

8時30分には出発しないと、南から「北観音山」「南観音山」「大船鉾」が迫ってきます。

飾り付けを終えて、裃に着替えて、何とか間に合いました。

 

さあ、巡行に出発です。

 我が家の二階には、東京からゲストさんが

まだ、信号機の撤去が出来て無いので待機中。

広い御池通で、山鉾の巡行の順序に列を作ります。

11基が、揃ったら巡行出発です。

巡行中は撮影禁止なので、画像は無しです。

御池通で、全員集合

市役所前で「籤改め」御旅所で「八坂神社拝礼」を済ませたら、会所に向けて帰ります。

予定より30分くらい早い、11時50分に、無事八幡山会所に帰り着きました。

誰も熱中症の心配も無く、元気な帰還です。

これで、御神輿が八坂神社へ還られる京の街を浄める事が出来ました。

 


八幡山の宵山

八幡山では、会所とお山の前で、授与品の販売をしています。

町内の子供さんやそのお友達、大学生さん達が猛暑のテントで頑張ってくれて居ます。

「ちまきどうですか、鳩笛、鳩鈴どうですか」

蝋燭一丁献じられましょう。

毎年23日の3時には、山伏の一行が巡行の無事祈願の御祈祷に訪れます。

23日の宵山、日和神楽が帰ってきたら八幡山も灯を落として、明日の巡行に備えます。


八幡山の会所飾りと宵山

21日は、早朝から「八幡山の会所飾り」です。

神前飾りをして

 

会所に懸装品を飾り付けます。

表のお山には、常飾りを施しました。

  

授与品販売のテントも設置完了。

  お祭りが滞り無く挙行港出来ますように

3時からは、八坂神社から神官を招いて「清祓いの儀」

清祓いを終えて、八幡山の前で記念撮影です。

町内の一軒をかりて「八幡山の屏風展」も開催。

 

八幡山の提灯に灯が入りました。

南観音山の駒形提灯にも灯が。

 

夜は、懇意にさせて貰っている「大船鉾さん」へ表敬訪問。

今年新地要された「大御弊」

木村理事長にも逢えました。

後祭の山鉾11基は、これから、三日間宵山を務めます。


若狭で鯛釣りに

この夏の「身体が溶けそうな猛暑」の中、若狭の早瀬港かせ、友人のボートで「鯛釣り」に出ました。

京都から三時間走って、餌のオキアミを2000円買いて、弁当とお茶もたっぷり仕入れて

3人は11時に出港しました。(勿論ビールもたっぷり)

荷物を積み込んで・・・。

早瀬港を出て、狭い水路を進んで日本海へ出ます。

これまで何度も拝見してきたボートですが、乗せて貰うのは初めて。

強力なエンジンは、凄い走りを見せます。

15分ほど沖に向けて走ってから、アンカリングして、吊り始めます。

 僕が仕掛けを降ろして5分後、グイグイと竿がしなる。

鯛といさきが揚がりました。この調子なら、クーラーBOXが溢れるのでは?

そんな心配は無用でした。

キジハタ         鯛

それから18時の納竿まで掛かってやっと3人で七匹。しかし、なかなか楽しい釣りです。

日陰が無いので全身汗まみれで、お茶を何杯飲んだことか。

夕陽を背に、早瀬港に向かいます。

本日の釣果

オーナーさん、楽しい体験をありがとうございました。

帰宅して、内臓処理と鱗取りが大変。


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