アーカイブ: 2023年8月2日

対馬丸記念館

先日の「座間味ヨットレース」のあと、沖縄観光をしましたが

その折りにどうしても寄りたかった所が有りました。

それで、同行の人達に無理を言って行程に入れて貰いました。

  

「対馬丸記念館」には、実に悲惨な事故というか、事件の全貌が記録されています。

 

しかし、この悲劇は長く伏せられていて、公表されたのは数十年後です。

そして、2004年にやっと「対馬丸記念館」が会館して、公に事件の事を知ることになります。

  モノレールで行きました。

1944年の8月、戦況が悪化した日本軍は、沖縄への米軍上陸を予想して

沖縄の婦女子を日本本土へ疎開させる事にして、1800人程を「対馬丸」乗せて出港。

しかし出港して一日後、米軍の魚雷を受けて沈没。

1500人が亡くなった悲劇です。

疎開船ですから、学童が784名も居たので尚更大きな悲劇となりました。

 

その後米軍が、沖縄に上陸してまたまた大きな悲劇が起こりますが、この「対馬丸事件」は

日本軍の士気低下を考慮して、遺族も生存者も一切口外ならぬとされたので、大勢の人の死が

語られないままに数十年経過したのです。

ウクライナでは、また新たな悲劇が現在進行系で続いて居ますが、何とかならないのでしょうかねえ。


八幡山の巡行

24日は6時50分から「八幡山の巡行飾り」です。

みんな、お揃いのポロシャツを着て飾り付け。

 

8時30分には出発しないと、南から「北観音山」「南観音山」「大船鉾」が迫ってきます。

飾り付けを終えて、裃に着替えて、何とか間に合いました。

 

さあ、巡行に出発です。

 我が家の二階には、東京からゲストさんが

まだ、信号機の撤去が出来て無いので待機中。

広い御池通で、山鉾の巡行の順序に列を作ります。

11基が、揃ったら巡行出発です。

巡行中は撮影禁止なので、画像は無しです。

御池通で、全員集合

市役所前で「籤改め」御旅所で「八坂神社拝礼」を済ませたら、会所に向けて帰ります。

予定より30分くらい早い、11時50分に、無事八幡山会所に帰り着きました。

誰も熱中症の心配も無く、元気な帰還です。

これで、御神輿が八坂神社へ還られる京の街を浄める事が出来ました。

 


八幡山の宵山

八幡山では、会所とお山の前で、授与品の販売をしています。

町内の子供さんやそのお友達、大学生さん達が猛暑のテントで頑張ってくれて居ます。

「ちまきどうですか、鳩笛、鳩鈴どうですか」

蝋燭一丁献じられましょう。

毎年23日の3時には、山伏の一行が巡行の無事祈願の御祈祷に訪れます。

23日の宵山、日和神楽が帰ってきたら八幡山も灯を落として、明日の巡行に備えます。


八幡山の会所飾りと宵山

21日は、早朝から「八幡山の会所飾り」です。

神前飾りをして

 

会所に懸装品を飾り付けます。

表のお山には、常飾りを施しました。

  

授与品販売のテントも設置完了。

  お祭りが滞り無く挙行港出来ますように

3時からは、八坂神社から神官を招いて「清祓いの儀」

清祓いを終えて、八幡山の前で記念撮影です。

町内の一軒をかりて「八幡山の屏風展」も開催。

 

八幡山の提灯に灯が入りました。

南観音山の駒形提灯にも灯が。

 

夜は、懇意にさせて貰っている「大船鉾さん」へ表敬訪問。

今年新地要された「大御弊」

木村理事長にも逢えました。

後祭の山鉾11基は、これから、三日間宵山を務めます。


若狭で鯛釣りに

この夏の「身体が溶けそうな猛暑」の中、若狭の早瀬港かせ、友人のボートで「鯛釣り」に出ました。

京都から三時間走って、餌のオキアミを2000円買いて、弁当とお茶もたっぷり仕入れて

3人は11時に出港しました。(勿論ビールもたっぷり)

荷物を積み込んで・・・。

早瀬港を出て、狭い水路を進んで日本海へ出ます。

これまで何度も拝見してきたボートですが、乗せて貰うのは初めて。

強力なエンジンは、凄い走りを見せます。

15分ほど沖に向けて走ってから、アンカリングして、吊り始めます。

 僕が仕掛けを降ろして5分後、グイグイと竿がしなる。

鯛といさきが揚がりました。この調子なら、クーラーBOXが溢れるのでは?

そんな心配は無用でした。

キジハタ         鯛

それから18時の納竿まで掛かってやっと3人で七匹。しかし、なかなか楽しい釣りです。

日陰が無いので全身汗まみれで、お茶を何杯飲んだことか。

夕陽を背に、早瀬港に向かいます。

本日の釣果

オーナーさん、楽しい体験をありがとうございました。

帰宅して、内臓処理と鱗取りが大変。