オープンしてから、もう一年が過ぎた「あべのハルカス」へ、やっと行けました。
天王寺駅前の大きな交差点の歩道橋から南北を臨みます。
寒い雨の日、狙ったとおりチケット売り場もエレベーターもガラガラ。
北方向 天王寺公園 南西方向
南東方向 東方向
トイレからも見えます
綺麗な中庭 中庭からも下界の景色が
もの凄い費用を掛けて出来た「ハルカス」も、展望だけが順調で、肝心の近鉄百貨店の売り上げは低迷とか?
そういえば自分たちも、展望台の一人1500円は遣ったけど、買い物無しで帰りました。
コンサートホールの「ル・ベルベッツコンサート」に行ってきました。
若い男性5人の、パワー溢れる歌声には驚かされました。
休憩を挟んで、前後1時間ずつ、思い切り歌い込んでくれました。
今流行の、賑やかな衣装とか、派手な踊りは無くて、実に穏やかに立ちます。
オーソレミオ、カチューシャ、ゴッドファーザー、ハレルヤ、ゴラナダ、トレアドル、乾杯の歌(椿姫)など、覚えきれないくらい沢山の曲を力一杯に聴かせてくれました。
それらの半分くらいは、マイク無しのままで、ホール全体に聴かせますから凄い。
ただ、サービスの為とは言え、度々客席を廻って握手しまくるのは見たく無かったです。
また終演後、CDを買った人とだけハイタッチしますと言うのも、ちょっと軽いような。
雨で寒いから、空いているかと思って、100年以上続いて居るという「造幣局の櫻の通り抜け」にでかけました。
約1キロの櫻街道は、八重桜が満開です。
造幣局の正門 明治天皇も来られたことが
一枚くらい、櫻をバックに撮したかったのですが、廻りのどの人も外国語。とうとう頼めませんでした。。
櫻を撮す、うば桜
造幣局横の流れでは、水陸両用バスが、水上バスと一緒に航行していました。
天満橋付近も、綺麗な景色です。
5daysアートチャレンジの、第3日目。今日は、九州行きのフェリーのお話です。
昭和45年に、父と二人で呉服卸業を始めて以来45年、九州のお得意先が多かったので、出張は殆どフェリーを使っています。
関西からは、神戸や大阪から「関西汽船」「名門大洋」「阪九」「マリンエキスプレス」が九州に運航していますので、いろいろと乗り分けています。
時代の変遷で、出港場所や入港場所が度々変更されましたし、就航する船もずいぶんと立派に綺麗になっています。
大阪南港の関西汽船、さんふらわあ乗り場。コスモタワーの前から出港です。
フェリーのスタッフが、紙テープでお見送りしてくれる時も。
ガレージは、3階、4階、5階に別れて居るので、乗用車100台、トラック200台が乗せられます。
船内ガレージへは、出港後は入れないのでしっかりロックして、荷物を持って客室に上がります。
だいぶん前は、二等の大部屋に入っていましたが、歳を取るとついつい贅沢になり、最近は2500円ほど払ってこんな部屋に。
個室だから、食堂へは行かずに持ち込んだ好きな弁当をこの部屋でテレビを見ながら摂ります。
洗面所も有って快適そのもの。お風呂は、二つ有る大浴場でゆったり。
バーの有りますが、ここでひとりチビリチビリが一番です。
これはスラスターと言って、離岸着岸などの時に、横移動するためのスクリューです。
フェリーのスクリューと舵はこんなに大きい。
使うことになって欲しく無い「レスキューボート」
関門海峡大橋。 明石海峡大橋。
いろいろなイベントのサービスもよく行われて居ます。これは風船ショ-。
フェリーの中では、皆さは実に楽しく寛いでいますが、出張の身ではそうもゆかず。
春には、お雛様を飾ったり、くまもん部屋や、ピカチュー部屋を見せて貰えたときも有りました。
北九州市の皿倉山。さすがに九州、フェニックスをよく見ます。
九州とは言え、結構気温は低くて、何度か「雹」に降られた時も有ります。
営業の合間に、松本清張記念館や小倉城へ。これも、出張の楽しみのひとつです。
この45年間で、軽く1100回くらいはフェリーのお世話になって、九州出張をこなしてきました。
これからあと何年間九州へ出かけられるか?まだまだ当分は、フェリーの船旅を楽しみたいと思います。
この秋からは、名門大洋フェリーで、15000トンの新艇が導入されるので大変これも楽しみです。
細見美術館の「私の1枚」に行ってきました。
過去100年以上前からの、写真家の貴重な1枚を拝見できました。
写真とは、そこに有る物を写すだけだとは思いますが、いろいろなシュチエーションが有るので、なかなか大変なようです。
現在ではとても再現出来ない画像が101枚、見応えが有りました。
また、関連解説として、写真技術の変遷の解説も有り、これにも感心させられました。
1850年ころからの「鶏卵紙写真」1870年からの「乾板写真」
1900年代に入って、臭化銀と塩化銀を使った「ゼラチンシルバープリント写真」と「発光現像式印画」が出現したこと。
1945年には既に「ダイトランスファープリント」が発明されて、現在のプリンターに採用されている「マゼンタ、シアン、イエロー」の色分類も出来て居たとは・・・。
どちらかと いえば、貴重な画像よりも、この写真技術の進歩過程に興味が湧きました。
琵琶湖の北、西岸に湖上に突き出た鳥居が有ります。
白髭神社は、厳島神社よりは小ぶりながら、とても引き立っています。
比良連邦の湧き水が有るとの事で、ここはいつも水が澄んでいます。
船で湖上からはよく見ていますが、陸からは、車で通過が多いのでなかなかゆっくりとは見ていません。
湖上の鳥居と、本殿の鳥居はまっすぐに見通せます。
僕の母の話ですが、100年以上前は、大津から白髭までの汽船が運航していたそうで、このあたりは「明神さん」と呼ばれていたそうです。
母は、大津行きの船に乗るため、自分の村から歩いて3時間以上掛けてここまで来て居たのです。
そして、この明神さんを境にして、北側の高島や、安曇川と、南側の小松や志賀とは天候が大きく変わったので「高島時雨」という言葉が有りました。