無事に最終日を迎えて、書き込んだ記事です。
5daysアートチャレンジもとうとう5日目、最終日です。
堅い話でしめたいと思います。
誰かからの聞き覚えでいつまでも心に残る「無財の七施」というお話です。
人は、いつも人に施す心を持つべきでは有りますが、施す余裕が無いと思われがちです。
でも、どんな人でも施しは出来るというのが「無財の七施」です。
「眼施」は、いつも良い眼差しで人に接すること。
「和眼悦色施」は、いつも優しい笑顔で人に接すること。
「言辞施」は、柔らかい言葉で人に接すること。
「身施」は、礼儀正しくひとに接すること。
「譲座施」は、人に譲ること。
「房舎施」は、人を招き入れること。
「心施」は、善の心で人に接すること。
この七施なら、地位も体力も財力も無い人でも、人に施しが出来ると言う教えです。
この教えに近づけば、少しずつ心臓が重くなり、その重さで閻魔大王が裁断を下すそうですから「天国、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄」の、なるべくよい処へ廻して貰いたいなあと、かすかに願っています。
その前に、三途の河を渡るのに必要な「6文銭」を、家内が持たせてくれないと、閻魔様の処へさえ行けません。
先ずは、家内に施しておかないと。
五日間、思いつくまま勝手に書き込みましたので、いろいろとご批判も有るかも知れませんが、ご容赦ください。
ありがとうございました。
明日からは、旧知の友人で、松田敏さんという、『(自称)社会の片隅で細々と暮らしている』方」が、引き継いでくれます。
現在、友達募集中とのことですから、松田さんの、5daysアートチャレンジへの書き込みを読んで、コンタクトを取って頂ければ喜ばれると思います。よろしくお願い致します。
二日目は、こんな記事にしました。三日目は、4月13日にここのブログに書き込んだ物を記事にしました。
5daysアートチャレンジの、第2日目です。
何年か前に「日本一短い母への手紙」という本が発行されて、ベストセラーになり、その姉妹編として「日本一短い父への手紙」も発行されました。
その中に、沢山の感動が有ります。
折りに触れて読んでは、新しい感激をしています。
「父が、コップに残したビールは、父の残りの人生のようで寂しくなりました」
「事情は有ったでしょうが、やはり認知して欲しかったです」
「お父さん、気づいていますか、私とお父さん、二人の写真がまだ一枚も無い事を」
「退職の日に、飯おごったくらいで泣くなよ。俺、親孝行してないなって反省したぞ」
「まっすぐ歩けないよと言う父。頭の腫瘍とは言えず、眼鏡のせいよ」
「シベリアの看守と、泣いて別れたなんて、きっと良い人だったんだね。
「父さんにナイフを向けたあの時、父さんは笑っていた。悔しかった」
「帰宅が遅いとき、起きていてくれた父。黙って部屋の電気が消えました」
「臨終の義父さんが、たった一言-痛いよ-と言って しがみついた日、嫁から娘になりました」
「父さんと喧嘩した夜に泣きました。勝ってしまったから泣きました」
「残された借金は、残された家族みんなの団結に役立っています」
「いつも口うるさい父が、ほらみろと、一言言っただけ。離婚して帰ってきた夜に」
「父さんの仕事場を初めて見たとき母さんが言ってた。お給料、無駄遣いできないね」
「素っ気なく切ってしまった電話。今頃気づきました。お父さんの寂しさに。ごめんね」
「腕相撲でも始めて勝った。でも、父さんの顔を見て、やらなきゃ良かったと思った」
「父さんの愚かさを20年間言い続けた母さんの愚かさに気づきました」
「黄泉の国の父さん、母さんを呼ぶなよ。姉さんと必死で看病したんだからね」
親子の間には、目に見えない繋がりが有ります。
この本の中には、それを思い知らしめるものがいっぱいです。
九州の人から、お誘いを受けて「5daysアートチャレンジ」として、フェイスブックに五日間続けての書き込みをする事になり、何とか無事に終えました。
これは、その初日の記事です。
北九州市若松区の、地域一番呉服店の3代目山本君からの御指名で「5daysアートチャレンジ」のバトンを受けました。何がどうなのか、判らないままに第一日目を始めます。
僕は、京都で呉服卸業を開業して45年になりますが、山本呉服店とは、当初から取引願っておりますので、先代は勿論、先々代さんからもずいぶんと御用命頂いて居ります。
京都では、呉服製造業者さんが、染工場に白生地を預けて着物を造ります。それを京都や、東京の大問屋さんに売り、大問屋さんから卸問屋さんに流れ、卸問屋さんから全国の呉服小売店に卸されます。
小売店は、お客様のいろいろな好みに合わせて、着物や帯を勧めて仕立てて、消費者に納められます。
勿論、商品の流れは複雑で、問屋さんをひとつとばしたり、何軒もの問屋さんを経由する事も有ります。
また、主な都市では、その地域だけの呉服店を対象に営業する地方問屋さんという立場のお店も有り、京都との取引が無い呉服店にも商品が供給できるシステムになっています。
経由問屋が、多くなっても価格がそんなに上がる事が無いのが???
西陣の帯もよく似た流れで、機屋さんで織られた商品が買い継ぎ屋さんに流れ、買い継ぎ屋さんから、卸問屋さん、地方問屋さんに流れます。
これらの帯も、経由する問屋さんが多かったり少なかったりの流れをする事が多々有ります。
我が「万商」はというと、規模が小さいため、製造業者とか機屋さんからの仕入れはなかなか難しいので、買い継ぎ屋さんや大問屋さんから、自店の取引呉服店さんに適した物を選び出して仕入れます。
過去は、地方によって好まれる柄や色が変わっていたので、万商では、九州、大阪方面に適した商品を入れて居ましたが、近頃では全国殆ど同じようなお好み傾向になっています。
この画像は、展示販売会の様子で、小売店が年に何回か、大きな別会場で日頃よりも多くの商品を集めて開かれる販売会の様子です。
ちなみに、衣桁に懸かっているのは「きぬたや」さんの総絞り着物です。
「そうだ、着物を買ってみよう」