小泉重助展
18歳から25歳まで、小泉財閥のうちのひとつ「丸十小泉東京支店」に勤務させて貰った身としては、是非とも行かなくてはと「近江商人博物館」へ出かけました。
館内には、小泉家の歴史や関係資料、縁の品々が数多く展示されていて、末永國紀先生から、講演と展示物解説が有りました。
明暦2年(1656)の小泉治兵衛さんから始まって、六代目の文政7年(1824)に、初代小泉重助さんが登場します。
やはり出身は「五個荘山本町」
数々の近江商人が、天秤を担いで諸国へ商いに出た本拠です。
小泉家は「百丸田」というところに田畑を持っていたが、他に比べてすこぶる土地が痩せていて、収穫が少なかった。
それが良かったのか、悪かったのか、農業を諦めて商売に移ったとのこと。
買い手良し、売り手良し、社会良し。これをモットーとして、地元では無く、全国に出て行った。
そして、京都や大阪に店舗を構えるようになっても、人材は故郷から呼ぶ。
五個荘の本家で、みっちり教育された後でやっとお店に出して貰える。
良い人材と、同郷の結束がますます営業成績を上げる。
努力していれば福が訪れるし、禄も上がる。そうすればみんな寿になる。
小泉家の「福禄寿」は、このように伝えられていた。
僕が勤めて居た頃は「四代目小泉重助さん」(1912--2002)の頃。
昭和43年に、交通事故で四十日も入院してたら、大阪から出張で上京された重助さんが病室まで見舞にきて下さり驚いた事が有ります。
大きな小泉系統の会社が何社も有り、それらのトップの人が23歳の若造の見舞いに来てくれるなんて。
小泉家は、そのような心が連綿と続いているのかもしれない。
トラックバックURL