プエルトガレラヨットレースその10最終章
一週間前に泊まった、マニラの「アトリウムホテル」へ再度入ります。
いよいよ帰途につきます。ムリエ港から、バンカーボートで、バタンガスに向かい、そこからマニラ行きのバスに乗り換えます。
それだけで、もう夕方になり、この日は、プエルトガレラからマニラへ向かうだけ。
注 プエルトガレラは、サバンビーチ、ホワイトビーチ、ムリエ港などを含む、ミンドロ島の一部地方の呼び名です。
マニラで、バスを降りて10分後「カメラが無い」僕は真っ青。もうバスは何処かへ行ってしまった。何日もの楽しい思い出の記録が、全て無くなる。
今年の春、九州一周した時に10日間のクルージング後、最後にカメラをハウステンボス港にドボンした、苦い思い出がよみがえります。
大きな二人の荷物を、僕とポーターが確保している間に、同行の旅のベテランが走ってくれました。
20分くらい経ったとき「はい、これ」と、僕のカメラを回収してきてくれました。ありがとう。ありがとう。
カメラは安い物だけど、データが実に貴重。このブログも、画像が掲載出来なければとても、寂しい物になってしまいます。
日本食レストラン「ねもと」
屋台の焼売 デパート入り口の警備 ラーメンと和風弁当
プエルトガレラと違って、マニラは忙しくて賑やかで、ボンヤリしていられない街で、余り散歩はしませんでした。
特に夜は照明も少なく、同行のベテランから「萬木さんは外出禁止」との宣告。
かろうじて、ホテルの向かいへ、飲み水を買うのだけは許可が出ました。20歩ほどです。
翌日は、早起きをしてタクシーで空港へ。
ボンヤリしていると、タクシーも、価格をふっかけられるらしいので、ホテルタクシーを。それでも、400ペソ(1000円)の料金に、チップは100ペソ(250円)の請求でした。
旅の間ずっと、チップ制に慣れていない僕は、20ペソほどの小銭が無くて、いつも苦労しました。
マニラから成田までの飛行
これは何か?と思っていたら、CAが座ってくれました。離陸時と、着陸時は、30分ほどお向かい同士です。(撮影許可は貰っています)
パートナーは、これが判っていて、この席を取ってくれていたのです。
往路の「ビジネスクラスプレゼント」と共に、嬉しい思い出です。
成田で乗り換えて、伊丹には18時くらいに到着。
家には、20時頃に到着して、8泊9日のプエルトガレラヨットレースの旅は無事に終えました。
ヨットレース参加が第一の目的では有りましたが、僕の希望で有る「知らない国々の生活風俗習慣体験」は充分出来たし、海に潜ったり、観光も出来た。
お誘いを受けた、鹿児島のヨット仲間と、同行してくれたパートナーのおかげで、無事故で過ごせた事に感謝です。
「ヨットレース参加が第一の目的では有りましたが、僕の希望で有る「知らない国々の生活風俗習慣体験」は充分出来たし、海に潜ったり、観光も出来た。」
それは良かったですね。 また詳しく教えて下さい。
「ヨットレース参加が第一の目的では有りましたが、僕の希望で有る「知らない国々の生活風俗習慣体験」は充分出来たし、海に潜ったり、観光も出来た。」
それは良かったですね。
松本君、コメントをありがとう。
実に楽しい、貴重な体験でした。
西海岸でのセーリング、これは叶わぬ夢かなあ。