七十年来の念願

幼い頃から眺め続けて、不思議な建物だと思いながらも、中を見る機会が無く七十年間

疑問のまま過ごしてきました。

その、謎の建物が特別公開されて居ると知って、幼友達と一緒に出掛けました。

彼も僕と同じ思いでこれまで過ごしてきたらしく「それ、見たかったんや」と返事は即答でした。

  

1912年に、真宗系の保険会社として、工費20万円で建てられた。(当時の巡査の給料が12円とか?)

その後は、神田銀行、京福電鉄、関西電力等が所有して、1958年から三年間は診療所。

1962年からは、西本願寺の布教活動に使われる「伝導院」とされたので、我々は入れないのです。

長い間に、建築当初の面積からは大きく縮小されて、現在は本館のみが残って居るそうです。

残念ながら、内部は撮影禁止なので、費用にかまわず美術的さを優先して造られた数々は頭の中にだけ残してきました。

「こんな処にまで」と思うくらい、細やかな部分は勿論、天井や壁も落ち着いた贅沢さがふんだんに見えます。

2011年の大改修後に、重要文化財の指定を受けたのも当然です。

  

近所のお年寄りに昭和36年頃の事を尋ねたら「私らの子供の頃は、中へ自由に入って遊んでましたわ」

僕が六角堂の境内を遊び場にして居たのと同じ思いでした。

まずひとつの希望が叶いました。

 

さあ次は「大雲院」の中の「祇園閣」です。

渋滞と駐車場のために、二人はバイクで東山に移動しなくては。

 

祇園の円山公園の傍に、祇園祭の鉾を再現したような建物を、七十年前から不思議に思っていました。

あれは一体なんやろ?

もう何十回も傍を通っていながら、高い塀に囲まれて居るから、全く判らず。

ここも、今回特別公開でしたから、喜んで出掛けたのです。

判りました。

この鉾は、昭和3年に財閥が京都の街を眺める為に建てられたそうです。

それも、優雅な祇園祭の鉾が年中見られるようにと、鉾の形にしてあります。

入り口を入るとすぐ「涅槃像」が

この大雲院は、1590年に四条寺町に建てられましたが、祇園閣の有る処へ引っ越して来たのです。

 

紅葉の絨毯を見ながら、本堂へお参り。

  

祇園閣以外は、まだ50年しか経って居ません。

 

いよいよ祇園閣の内部へ。

残念ながら、ここも内部は勿論楼閣の上からの撮影も禁止。

しっかり頭に焼き付けました。

個人が建てられたにしては、実に強固なもので、建築調査の人達が感心しているそうです。

二つの謎の建物を征服した、七十六歳の爺さん二人は、喜びいっぱいで帰途に就きました。

良かった。良かった。

こぼれ話ですが、今回訪問した二つの建物は、いずれも「伊東忠太」という人の設計でした。

 

こからは余談です。

 

今回、バイクを置かせて貰った友人宅では、丁度お茶席が掛かって居て

「一服どうぞ」となって、お菓子とお抹茶の接待も受けました。

観光客の人達を対象に、お茶の体験を設定して、大勢の人に喜ばれて居るようです。

落ち着いた茶室で、懐かしい話しをしながら、最中とお茶を御馳走になりました。

創業150年になるお茶の老舗「美好園」は、若い当主が大活躍しています。

美好園の五代目と六代目当主、ありがとうございました。

 


«
»
 

トラックバックURL

コメントを書き込む