カテゴリー: 行ってきました

紅葉狩り

良く晴れた土曜日、大混雑だと思って控えては居たけど、やはり紅葉を・・・。

  

市バスの敬老乗車証を使って、くろ谷さんへ。

  

特別拝観券は1000円。本堂と方丈と紫雲の庭へ入れました。

  

外人は少なくて、ゆつくりと観られました。

  

池の周りを散策すると、紅葉をひと回りする事になります。

お茶席1000円はスルー。

お隣の栄摂院は、狭いけど、素晴らしい紅葉とお地蔵様が。


嵐山の混雑

11月11日の土曜日、嵐山近くに用事が有り、渡月橋の様子を見てみることにしました。

嵐電嵐山駅            渡月橋

 

渡月橋から川上の西側  川上の東側

 

土産物、食べ物のお店は、どこも長い行列です。

星のやの船が2艇。

保津川下りの船が、お客さんを降ろして船着き場へ。

こうして船を釣り上げて、トラックに積んで亀岡まで運び、また大勢のお客さんを

乗せて、嵐山まで川下りをします。


対馬丸記念館

先日の「座間味ヨットレース」のあと、沖縄観光をしましたが

その折りにどうしても寄りたかった所が有りました。

それで、同行の人達に無理を言って行程に入れて貰いました。

  

「対馬丸記念館」には、実に悲惨な事故というか、事件の全貌が記録されています。

 

しかし、この悲劇は長く伏せられていて、公表されたのは数十年後です。

そして、2004年にやっと「対馬丸記念館」が会館して、公に事件の事を知ることになります。

  モノレールで行きました。

1944年の8月、戦況が悪化した日本軍は、沖縄への米軍上陸を予想して

沖縄の婦女子を日本本土へ疎開させる事にして、1800人程を「対馬丸」乗せて出港。

しかし出港して一日後、米軍の魚雷を受けて沈没。

1500人が亡くなった悲劇です。

疎開船ですから、学童が784名も居たので尚更大きな悲劇となりました。

 

その後米軍が、沖縄に上陸してまたまた大きな悲劇が起こりますが、この「対馬丸事件」は

日本軍の士気低下を考慮して、遺族も生存者も一切口外ならぬとされたので、大勢の人の死が

語られないままに数十年経過したのです。

ウクライナでは、また新たな悲劇が現在進行系で続いて居ますが、何とかならないのでしょうかねえ。


若狭で鯛釣りに

この夏の「身体が溶けそうな猛暑」の中、若狭の早瀬港かせ、友人のボートで「鯛釣り」に出ました。

京都から三時間走って、餌のオキアミを2000円買いて、弁当とお茶もたっぷり仕入れて

3人は11時に出港しました。(勿論ビールもたっぷり)

荷物を積み込んで・・・。

早瀬港を出て、狭い水路を進んで日本海へ出ます。

これまで何度も拝見してきたボートですが、乗せて貰うのは初めて。

強力なエンジンは、凄い走りを見せます。

15分ほど沖に向けて走ってから、アンカリングして、吊り始めます。

 僕が仕掛けを降ろして5分後、グイグイと竿がしなる。

鯛といさきが揚がりました。この調子なら、クーラーBOXが溢れるのでは?

そんな心配は無用でした。

キジハタ         鯛

それから18時の納竿まで掛かってやっと3人で七匹。しかし、なかなか楽しい釣りです。

日陰が無いので全身汗まみれで、お茶を何杯飲んだことか。

夕陽を背に、早瀬港に向かいます。

本日の釣果

オーナーさん、楽しい体験をありがとうございました。

帰宅して、内臓処理と鱗取りが大変。


信濃路紀行その3

最終日は、先ず真田神社へお参り。

上田市、小諸市は、代々真田家に深い縁が有ります。

 凄い数の「祈願絵馬」

地元の人達に、深く進行されて居るようです。

 スマホで調べたらちゃんと伊勢方向でした

六文銭の冑      伊勢神宮遙拝所

次は別所温泉の「北向き観音」へお参り。

ここの本堂は、北向きに建てられて、丁度善光寺に向いているそうです。

これもスマホで確認。善行寺方向を向いてました。

  縁結びの霊木

立派な夫婦杉が二組も!     愛染桂の木(昭和13年のメロドラマ

  幸村とお江が入ったとか?

長野と言えばやはり温泉。別所温泉の「石湯」を楽しみました。

  浅間山からは、いつも白い煙が出て居ます。

「笠取峠」は、かっては賑やかな街道で有ったろう。綺麗に揃った松並木。

皇女和宮の「江戸おこし入れ行列」も、この並木道を歩いたとか。

  地元の民家で見た神棚

飯綱山頂から小諸市と沈む夕陽を・・。

  

楽しい信濃路紀行も、いよいよ終わり。お茶を頂いたら帰途に就きます。

 貴重なダイヤが展示されて居ます。

小諸駅発の夜行バスを待ちます。

京都行きバスは、21時10分です。

Kさん、二日間ありがとうございました。


七条大橋の掃除

毎月七の日は、七条大橋の掃除の日です。

8時30分にバイクで出発して、50分に着きました。

受付は早くから設営されてました。

会長さんも来られて居ます。

  鴨川の上流を望む

気温が高いからか、一月しか経ってないのに雑草がよく伸びて居ます。

綺麗な姿の「七条大橋」

一時間で終了。沢山のゴミが集まりました。


信濃路紀行その2

川中島から善光寺さんへは30分です。僕と家内は三回目のお参り。

  

綺麗な参道      本堂(真っ暗な胎内巡りもしてきました)

 

三門の上からの眺め     経塔

三門の上から下界を お経が数千巻入った大きな祠を皆で回させて貰えました。

信州でのお土産は、やはり「みすゞ飴」

薄暗くなってから、上田の宿に入りました。

  

古い旅館では有るが、食べ物が良いとのフレコミのとおりです。

 みなさん、頑張って食べて居ます。

 まあ何と、次から次へと出て来る出て来る。

 

70越えの皆は、とても食べきれませんでした。タッパが有ればなあ。

お風呂は道路へ出て、50メートル程歩いた所に有るのでビツクリしたけど

この料理が有ったから「まっいいか」

古い、重い蒲団でも、ぐっすり寝ました。

 

 

 


信濃路紀行その1

親しくしていた人の娘さんが、若くして亡くなってからもう一年になります。

信州の小諸市なのでなかなかお参りに行けませんでしたが、やっと出掛けました。

  42歳とは余りに若すぎます。

足は安い夜行バスてで  小諸駅に着いて   早速お参り出来ました。

第一の目的「お参り」をしてからは、レンタカーで信州巡りへ出発。

 先ずは松代藩の「文武学校」

  

松代藩の武士を鍛錬する為の道場で、剣術、槍術、柔術、弓術、砲術、学問を教えて

居た施設で、実によくできた造りでした。

  道場内

 凄い梁です

文武部屋は、こんなに綺麗な庭園に面して居ます。

 

松代城は、工事中で見学出来無いので、外からだけ。

真田記念館は休館

続いて「川中島古戦場」へ。

  こにも「八幡様」が

謙信と信玄が一騎打ちして、信玄が七カ所を傷付けられたたと言われてます。

 謙信と信玄に見とれる6人。


国際写真展

 

4月15日から、市内十カ所で「京都国際写真展」が開催中です。

我が家のお向かいの「八竹庵」も、メイン会場のひとつなので、連日大勢の人達が来られて居ます。

  

八竹庵         玄関の前      入り口

無料なので、ちこっと覗いてきました。

  

案内所       沢山の資料が並んで居ます

  通し廊下

八竹庵の庭は、いつ見ても素晴らしいです。

  これ何か?不明です

これも展示のひとつ

庭を通して、向こうの部屋が・・・。

お茶室は、今日は開放されてないです。


湖北をドライブ

小諸市からの友人二人と、琵琶湖でヨットセーリングの予定が、荒天の為中止。

湖北ドライブに変更して、北へ北へ走りました。

 萬木進さんが「鈴綱」を寄贈されて居る

白髭神社で休憩。

竹生島行きの船は、荒天の為検討の後やっと出港してくれました。

知床のような事故になったら大変。

きつい北西が吹いているので、観光船は竹生島へ直行せずに、一旦海津大崎に向かってから南下します。

竹生島へはもう20回くらい上陸して居るけど、ヨットばかりなので、観光船では初めてです。

 

ヨットで来たら、ここに停めます

友人を案内して、都久夫須麻神社と宝厳寺へお参りです。

  

船廊下      下から船廊下を    瓦なげ

  

弁天様    不動明王      厳島神社

宝厳寺の本堂。島の高台に、こんなに大きなお寺が!

やはり高い波が

紅梅、白梅が満開    75分の滞在で帰りの船が来ました。

  

30分間波に揺られましたが、無事今津港に着岸して次は「メタセコイア並木」へ。

春夏秋冬ごとに、様変わりするこの街道は、やはり葉っぱが有る方が綺麗です。

 ふと思い出して行ってみました。

友人が数年をかけて自力で建てた別荘。20人以上が楽々泊まれます。

よくまあこんなのを自分で建てたものです。


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