アーカイブ: 2019年10月12日

京都探訪その3

いつもいつも、西大路八条を何十回も前を通る度に、気にはしていたものの

お参りした事は一度も無かった「若一神社」に初めて行く事ができました。

  

地元では「にゃくいっつぁん」と呼ばれて親しまれているそうです。

1166年に平清盛公が「熊野神社」で「772年に土中に入られた上人様を、世にお出しせよ」

とのお告げを聞いて京都に戻り、夜光を放つ処を掘れば「若一王子」が現れたのでお祀りした。

その一年後に大出世をしたので、開運出世の神様と喜ばれているらしい。

  この楠の前を長年通りました。

大楠が、境内にも門前にも有ります。

狭い境内ですが、綺麗に整備されて居て、近隣の人が次々にお参りされています。

御供水      清盛公像     祇王妃の歌碑

こんなに近い処の謂われの有る神社なのに、なかなかお参りする機会が無かったとは!!!

京都の街には、まだまだこのような由緒ある旧跡が有るはずなので、これからが楽しみです。


京都洛南探訪その2

羅生門の次は「西寺」を探します。

 西寺の想像図

唐橋西寺公園の真ん中に有る築山がすぐに見つかりました。

当然、現存の東寺と同じ規模で有ったはずです。

  

この、コンド山が西寺の「講堂跡」らしく、5人の作業員さんが黙々と発掘していました。

今のコンド山

まさか、僕が来る直前、この9月30日から発掘が始まったとは!!!

新しい発見が有りますように。

興國山「西寺」

この公園から数百メートル西で見つけた「西寺」は、真新しいです。

消えた西寺の代わりに建てられたのか、単に「西方寺」が改名したのか?

誰にも判らないとか?

萬木説は「平安京の西寺とは全く無関係」


京都洛南探訪その1

今まで何度も見た「鶯鳴くよ平安京」の地図に、とても気になる物が二つ有りました。

「西寺」と「羅生門」です。何年もの懸案を解決すべく出掛けました。

平安京の地図

東寺は、今も南からの京都の入り口にデーンと構えていますが、西寺と羅生門はどうなっているのか?

往時の立派な羅生門は、これだけです

三船敏郎の「羅生門」

想像図           映画のセット

東寺の西に有ったらしいからすぐに判ると思いきや、なかなか見つからず迷いました。

  

「矢取地蔵尊」のお堂の裏側に有ったのです。

お堂の奥に鎮座されるお地蔵様

矢取地蔵さんの、面白い話しを聞きました。

神泉苑での雨乞いが原因です

守敏の怨みを買った空海の身代わりに矢を受けたお地蔵様は、右肩に矢傷が有るそうな。

何でも見たがりは、近隣の人に訊いて廻りました。「矢傷を見せて貰えませんか」

やっとお堂守のおばさんに逢えましたが

「そんな事あきまへん。お地蔵さんをいつもお世話する私も見たことが有りません。

矢傷を見たら祟りが有るとの言い伝えで、この辺りの誰も見てないし、見ようとしません」

よーく拝んでから、その場を去りました。


藤袴際

 いつの間にか我が家にもポスターが!!!

今年も、藤袴は満開になりました。

  

メイン会場の「革堂さん」の正面は、赤絨毯です。

  七福神さんの前にも藤袴。

 

地味な花ですが、これだけ揃って満開になると賑やかです。

  

お隣の「下御霊神社」の拝殿にも藤袴が。

色がおとなしくて、控えめなのが僕に似ています。(自称)

会期中に、我が家にも数鉢展示をとの話しが有りましたが、運搬の都合で今年は無し。

来年は、置いて下さい。