いつもいつも、西大路八条を何十回も前を通る度に、気にはしていたものの
お参りした事は一度も無かった「若一神社」に初めて行く事ができました。
地元では「にゃくいっつぁん」と呼ばれて親しまれているそうです。
1166年に平清盛公が「熊野神社」で「772年に土中に入られた上人様を、世にお出しせよ」
とのお告げを聞いて京都に戻り、夜光を放つ処を掘れば「若一王子」が現れたのでお祀りした。
その一年後に大出世をしたので、開運出世の神様と喜ばれているらしい。
大楠が、境内にも門前にも有ります。
狭い境内ですが、綺麗に整備されて居て、近隣の人が次々にお参りされています。
御供水 清盛公像 祇王妃の歌碑
こんなに近い処の謂われの有る神社なのに、なかなかお参りする機会が無かったとは!!!
京都の街には、まだまだこのような由緒ある旧跡が有るはずなので、これからが楽しみです。
今まで何度も見た「鶯鳴くよ平安京」の地図に、とても気になる物が二つ有りました。
「西寺」と「羅生門」です。何年もの懸案を解決すべく出掛けました。
東寺は、今も南からの京都の入り口にデーンと構えていますが、西寺と羅生門はどうなっているのか?
想像図 映画のセット
東寺の西に有ったらしいからすぐに判ると思いきや、なかなか見つからず迷いました。
「矢取地蔵尊」のお堂の裏側に有ったのです。
矢取地蔵さんの、面白い話しを聞きました。
守敏の怨みを買った空海の身代わりに矢を受けたお地蔵様は、右肩に矢傷が有るそうな。
何でも見たがりは、近隣の人に訊いて廻りました。「矢傷を見せて貰えませんか」
やっとお堂守のおばさんに逢えましたが
「そんな事あきまへん。お地蔵さんをいつもお世話する私も見たことが有りません。
矢傷を見たら祟りが有るとの言い伝えで、この辺りの誰も見てないし、見ようとしません」
よーく拝んでから、その場を去りました。