軍艦島クルーズの船から降りてすぐの処に「出島」
400年程前は、徳川幕府の政策で、外国船はこのような特別区にしか着岸できなかったのです。
その当時を「出島博物館」のような形で、原寸とミニチュアで忠実に再現して、詳細に教えてくれます。
今も発掘は続けられていましたから、これからも新しい発見が・・。
爺さんヨットマン4人としては、次回きっと新西からクルージングして来るであろう「出島ヨットハーバ
ー」は、ちゃんとチェック。電話番号もバッチリ。
別府湯けむりレースをメインに、4人の爺さん達が気ままな旅を続けましたが、いよいよ旅の終焉。
10月17日の夕方に、名門大洋フェリーに乗ったら、18日の朝は明石海峡大橋です。
「じいじいはいつ帰ってくるの?」とのメールを貰った人も居ますから、さあ、ファミリーがどんな顔で
出迎えをしてくれるかな?
長崎のホテル「異邦館」の朝食と玄関。
綺麗な船で長崎港を出港。
今回は気ままな旅行ながら、ここだけは行くことが決まって居ました。「軍艦島上陸」です。
いろいろな島や、造船所を海から眺めながら軍艦島に向かいます。
先着の艇が出港するまでは沖待ち。軍艦の姿そのままです。いよいよ上陸。
軍艦島は、本名「端島」で、過去に90年間石炭を掘り続けていました。
小さな島に9000人もの人が住んで、24時間操業していたそうです。
海底1000メートルまでへ斜めに入って行き、気温40度、湿度99%の中での採炭は、超過酷ですか
ら、何百人もの犠牲者の記録が有りました。
それでも、収入のために危険を覚悟で働いて居た人達は、この島が観光客で溢れのを見て、どう思うので
しょうか。
修学旅行の生徒さんも居て、軍艦島ツアーは満員で、乗れない便も有りました。
島からの帰途、豪華客船の「飛鳥」と「アムステルダム」が並んでました。
台風を避けて、臨時に長崎港へ避難したそうで、この日の夜に上海へ向けて出港とか。
多比良港のすぐ傍に、阿蘇山の噴火で100キロも流れてきた溶岩が有ります。
怖い話ですが、何十万年も前。
島原城下には、いまでもこのように武家屋敷の様子が残されています。
ここから毎日、お城へ出勤されていたのです。
普賢岳を北から望む。 南から。
眺めて居れば華麗な普賢岳では有るが、20年前には大噴火して、火砕流と土石流の為に多くの人と家
屋を呑み込みました。
博物館や、記念館でその忌まわしい犠牲を再び出さぬように戒めています。
火山が有るが故の利点は温泉です。街の共同温泉は300円。爺さん達にはうってつけです。
雲仙地獄も散策。こんな様子が、365日続いて居るのです。
長崎駅前のホテルが見つかったので、夜の長崎入りです。
夕食会場は、ホテル契約の近くの居酒屋だとはおもしろい。
やはり、しっかり呑んで食べてからお休みです。